どうか僕を助けて! 後編

本日の話題の2本目は、「がんばろう熊本【熊本大地震関連】」から「どうか僕を助けて!」の後編です。その話を行う前に、この話を始めていくのですが、その前に、本日の記事でのお話に欠かせないある出来事について、見ていきます。

イメージ 1さて、昨日の記事では、谷底に飲み込まれてしまった大和晃さんのお話をしておりましたが、今回は、この捜索に似た事例をご紹介し、どのように身を守るのがいいのかという話をしていきます。本日の記事は、読売新聞社の2年前の配信記事からとなります。

今から遡ること12年前の平成16年10月23日午後5時26分、新潟県中越地方を震源とした地震が発生した新潟県中越沖地震(この3年後にも同地方で同じ地震が発生しています)、この時、自宅に戻ろうとしていた車の中で地震に巻き込まれた方がいました。その中には当時2歳だった皆川雄太さんもいました。
実は、この状況を見てみると、大和晃さんが巻き込まれた状況とほぼ同じです。ただ土砂崩れの規模はどちらかと言えば、大和晃さんの巻き込まれた状況のほうが、悪いということになります。
また、土砂が崩れた状況、谷の深さなども異なります。

この時点でかなり絶望的な状況は二人とも同じ、ならなぜ、皆川雄太さんが助かったのかですが、この当時応援で駆けつけていた長野市消防局のお方にお話を伺ってみたところ、実は現場に向かう途中に、余震に遭遇しておりました。実は、新潟県中越地震では、震度1を観測した地震が合計で1000回以上、さらに震度3以上の余震が18回観測されておりました。
今回の地震は、それをはるかに凌駕してしまう数になっております。まず、余震の回数そのものが、発生から1か月もたたないうちに1000回を突破するという異常さがあり、5月2日時点で1160回に迫る勢いで、もはや2か月がたつのにもかかわらず、規模的には、阪神大震災クラスに近いとされております。
実際に平成16年の新潟県中越地震で救助活動をされていた救助隊のお方は、当時どういった状況に置かれていたのかを考えていくと、この新潟県中越地震では、現場での崩れた土砂の量は推定約600,000m³。それに対して、今回の地震において、南阿蘇村の現場で崩れた土砂の量は、推定で500,000㎥と量は少ないのですが、信濃川に面しているため、発見しやすかったという環境が、皆川雄太さんが生き残った理由となると考えられます。

推測の域を出ないのですが、大和晃さんはこのように叫んでいるのかもしれません。しかし、届かない声でです。

「誰か! 誰か! 僕を助けて!」

と、やりきれない思いを抱えて生きる両親の顔が、痛々しく映るのは私だけでしょうか…。ということで、今回の記事の〆として、この言葉で終えたいと思います。

「人は、必ずどこかに苦しみを抱えているもの、それを乗り越えることが大事である」

これは、ブッダの書籍に乗っていた言葉です。私も、これを胸に刻みたいものです。

ということで、次回は、「観光業」特集として、熊本県の避暑地のペンション事情と、大分県の農民泊の実態の2つの記事を基に、「観光業の立て直しは始まったばかり」というタイトルで、前後編に分けて記事にします。ということで、遅くなりましたが、本日はここでお開きとします。次回をお楽しみに。