テレビの母からの伝言 前編

本日の話題の3本目は、「がんばろう熊本【熊本大地震関連】」の記事からとなります。
さて、今回のお話は、熊本県益城町のお話…といいましても、今回は学校のお話です。

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毎度の処ながら、2度の震度7を観測した益城町ですが、今回の舞台は、広安西小学校です。小学校の先生は木曜日、忙しくなります。理由は、小学校の先生は、学習指導要領に沿って、次回の授業のテーマといったを絞り込むなど、どのようにして工夫するといいのか、と言ったクラスの学習のスピードによって変わるので、その点は教員の裁量によります。
そのため、学習指導要領に沿って行くのですが、概要しか書かれていないことから、それぞれで、「どこまで学習した?」が変わって行くのです。

実は、この日も、いつものように次の授業準備に明け暮れていた日常だった、だったはずだったのです。
しかし、4月14日も同じだったのでした。午後9時26分に前震が発生、震度7を観測した益城町を、揺れが襲っていたのです。この時間帯に広安西小学校職員室にいた10名の教員たちが残っておりました。
その一人だった高松美穂さんは、その時の様子と恐怖をこのように、表現しております。

「すごい音で、視界が揺れた」

軟弱な地盤だったから、このように激しい揺れがあったということも考えられます。だからといって、机の下に潜り込み揺れが収まるのを待つしかありません。外に出るのは危険極まりないからということも言えます。

そして、それから30分後…、被災者がどんどん集まってきておりました。
体育館、校舎の1階部分、さらにはグラウンドまで人車が集まってきており、教室においてあるラジカセなどを体育館に運ぶといった事態が起きておりました。
あっという間に、4月15日を迎えたのです。

その日の朝6時、一報を聞いて駆け付けた特別支援学級の教員川口久雄さんが、まず直面したのは、水洗トイレの問題でした。この問題は、障害がある30代の娘を母親が介助していくという問題です。
介助などについては、特別支援学級で支援するために行うことが多いといわれております。ゆえに、

「大ごつですね(大丈夫ですか)」

と声をかけていくことになるのです。
実は、その夜のニュース報道で、母親が映像に映っておりました。

「娘が心配で、食事配給の列に並べない。トイレにもなかなか行けない」

と愚痴をこぼしていたのです。
そこで、彼はどう動いたのでしょうか、一つ目が、「支援が必要な人の名簿づくり」、つまり「見える化」という方法です。

実は、被災者には、それぞれ異なる症状を抱えているなど、かなり扱いが難しいということで、「見える化」を行うことが必要となってくるというわけです。

「障害って、人に伝えたり、説明したりするのが難しいから」

と、川口さんは話しておられるそうです。

ということで、そのあとの対応については、後編でお届けします。

さて、次回予告は、「テレビの母からの伝言」後編です。