名列車列伝特集 05-11「書籍にもなった伝説の名特急! 11」

(N)さて、本日の話題の2本目は「名列車列伝特集国内編」の第5弾「こだま」編第11回となります。今までは車両編をお届けしましたが、今回からはダイヤ編です。
クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)今までは車両についてのお話をしてきたのですが、今回はダイヤ編に切り替えます。
イメージ 1
(Kt1641F)そうですね。今までは車両が主役でしたが…、実際にダイヤについて、お話していきます。引き続き、153系さんも引き続き、ご出演お願いします。
(153系)分かりました。引き続き、よろしくお願いしますm(_ _)m。
イメージ 2
(Hs1208F)さて、ダイヤ編ですが実は、20系客車と同じ日にデビューしたのですか?
イメージ 3
(EF65P)実は、20系客車が颯爽と昭和33年10月にデビューできましたが、実は、181系電車となる20系電車は、デビューできませんでした。
イメージ 1
(Kt1641F)どういう事ですか?
クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)実は、日本としても最初の長距離電車特急が開発されたのですが、実際に、車両が落成したのは昭和33年9月でした。しかし、その試験と習熟度運転を行っている途中で、横揺れが激しいといった苦情が出てきたようなのです。その問題点となったのが、空気ばねを使用した台車だったのです。その部分を改良するためには、新型台車の修理工事を開始し、10月2日から試運転を開始。しかし…。
イメージ 4
(クモハ157【昭和35年デビュー】)その試験運転の最中だった10月2日、六郷川橋梁付近で突然、パンタグラフが吹っ飛ぶという事態が発生したのです。これが、営業運転中に、発生したら一大事でした。それゆえこの時に、当時の技術者である斎藤さんが、運転中止を決断していなかったら、電車の発展はなかったといっても過言ではありません。
イメージ 5
(Kt1641F)パ、パンタが吹っ飛ぶ!!! Σ( ̄□ ̄|||)!!!
イメージ 6
(Hs1208F)そんなことがあるのですか!!! Σ(・□・;)まさか、突風で(・_・;)。
イメージ 7
(EF58ブルトレ)確かに、これを聞いた時には、えらいことをやってくれたと、頭を抱えたわけです。それで、1か月ほどの長い間、パンタグラフの改良だのなんだので、20系電車がデビューしたのは、私が牽引した20系客車デビューから1月後の11月1日だったわけです。
イメージ 8
(クハ481)まあ、そんなこんながあって、20系電車こと181系さんが、1月の修理等を経て昭和33年11月1日に、正式にデビューを果たしたのです。
(153系)考えてみれば、EF58型ブルトレさん以外は、151系を名乗っていたころや、181系を名乗ったころに同じ職場にいた人たちばかりですから。
イメージ 7
(EF58ブルトレ)確かに、その通りです。その時には、私は昼行特急では、2列車「つばめ・はと」、夜行では、3列車「あさかぜ」、「平和・はやぶさ」を担当していました。だからこそ、今回の事態には驚きを隠せなかったのです。
(N)確かに、この事故がなければ、現在の特急電車の運転は、無かったといっても過言ではないといえます。
イメージ 4
(クモハ157【昭和35年デビュー】)そして、デビュー後は、「こだま」という主力列車として、2往復を担当、そのうち1往復が東京駅から神戸駅の便を担当していました。当時のダイヤは、東京駅を午前7時に出発する大阪駅行き「下り第1こだま」、神戸駅を午前6時半始発となる「上り第1こだま」、東京駅を午後4時に出発する神戸駅行き「下り第2こだま」と、大阪駅を午後4時に出発する東京駅行き「上り第2こだま」に分かれておりました。
イメージ 1
(Kt1641F)主に、ビジネスですね。所要時間はどのくらいかかったのですか?
クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)当時の客車特急が、東京駅と大阪駅との間を7時間半、私のデビュー当時で40分も短縮し、6時間50分で走破したのですよ。
イメージ 1
(Kt1641F)いわゆる「7時間」越えですね。 
(153系)まあ、20系電車が登場したころは、ロクにスピードアップができたらいい方だと言えました。そして、明年の昭和34年になり、10分の所要時間短縮が行われ、所要時間は6時間40分に短縮されました。それが9月のことです。実は、この9月に…、1641編成さん何かあったのですよね。
イメージ 2
(Hs1208F)昭和34年9月?
イメージ 1
(Kt1641F)ええ、伊勢湾台風の被害に遭ったのが、昭和34年9月27日のことですから、デビューわずか1年で最大の試練に見舞われたということになりますね。ただ、その前に、デビューしてからは、売り上げもうなぎ上りの状態となって、大変だったということになります。
クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)まあ、そんな中で特急料金で、当時6億円、全体でも13億円の収益を上げた上に、伊勢湾台風の前の夏は、最高自国の記録として163キロをたたき出すといったことをやってのけておりました。
イメージ 1
(Kt1641F)その後、特急列車に対して需要の増加などが、うなぎ上りのさなかに、私たちの大先輩も、どうやって対抗するか悩んでいた矢先、台風被害に遭ったのですが…。
クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)それが…、中京対関西圏の交通地図を塗り替えてしまうのですし、実際に、10100系さんが、とんでもないことをやってのけましたから…(-_-メ)。
イメージ 9
(Kt12250F)それをいうなら、新幹線で大打撃を受けたのは、私も同じですけど…(-_-メ)。
イメージ 1
(Kt1641F)二人とも、その辺で…(^^;。
(153系)そういうこともあって、近鉄と国鉄の対都市間連絡というバトルが、この時から本格的に行われるようになり、現在に至るまで続いております。
イメージ 1
(Kt1641F)確かに、より速く、より遠くを目指した先輩たちの努力が、今の近鉄特急ネットワークを生み出す原動力となったのは言うまでもありません。
イメージ 2
(Hs1208F)確かに、いいタイミングだったのかもしれませんね。ところで、153系さんに一つ質問がありますが、「こだま」を調べていくと、「替えだま」という記事にぶち当たったのですが…。
(153系)それは、ある災害がきっかけで起きた車両取り換えの実態ですね。これは次回12回に回しましょう。
イメージ 1
(Kt1641F)ということで、長くなりましたが、次回をお楽しみに。