名列車列伝特集 05-12「書籍にもなった伝説の名特急! 12」

(N)【7月25日収録】皆様、すいません。
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(Kt1641F)どうしたのですか?
(N)実は明日から、仕事をするため、事前に記事を書いておきたいと考えていたところです。
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(Kt1641F)隔週に変更してみるといいではないでしょうか、ただ、たまりすぎて、ペースが上がらないというのが難点ですが…(^^;。
(N)そこは、私も、危惧しております。
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(Hs1208F)まあ、そんなことがあっても、頑張っていくことが大切ですよ。
(N)ありがとうございます。ということで、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「こだま」編第12回をおお届けします。
クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)さて、ダイヤ後編ですが、車両面での補足をしておきます。実は、昭和34年6月、私を含めた20系電車は、国鉄の電車番号改定によって、新たに寝台列車などを担当する客車と、特急も含めて担当している気動車以外は、3桁に変更するという通達がなされました。そのため、モハ20系電車と当時呼ばれていた私は、151系に名称が改められました。その影響は、彼にも及びます。
(153系)実は、この時まで私は、モハ90系を名乗っていたのですが、現在の鉄道ファンの多くの人たちが知っております153系という名称に代わります。私も名称変更と聞いて驚いたくらいです。
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(クモハ157【昭和35年デビュー】)実は、当時の話では、その名称変更に伴って、多種多様な専用車両を大量増産できるようにさせるというのが当時の目的でした。実は、151系というのは、あくまで仮番号のような存在だったのです。
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(Kt1641F)その通りですよね。のちに特急車両番号は、10の位が8となったとされておりますよね。
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(クモハ157【昭和35年デビュー】)私のように、例外もあります。10の位に5番を着けた車両が登場するのは、平成2(1990)年の「スーパーひたち」しようとなった651系と呼ばれる車両からです。この当時は、急行種別自体が貴重な存在となったころのことです。わたくしも、もう少し長生きしていれば、見ることができたと、今も後悔しております。
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(Hs1208F)しかし、151系の命名の裏には、そういうドラマがあったのですね。
クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)話を戻しますが、昭和33年にデビューした「こだま」は特急列車として、多くのビジネスマンの心をつかみました。しかし、当時は、車両総数がわずか6両と少なめ、さらにビジネスマンの需要を掘り起こし、それらを確保するには無理してでも車両総数を増やす必要が出てきました。そこで、12両編成で運用するため、3等車、2等車両の増発を決断。大阪及び神戸方面の先頭車両の新生することになったのです。
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(EF65P)そこで、登場したのが「パーラーカー」です。確か、応接室という意味が込められていたと聞いたことがあります。
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(Nk7189F)確か、本格的なパーラーカーというのは、2例ほど紹介されており、もともと私が所属している鉄道の母体の南海鉄道電7号、東武鉄道のトク500型客車といった例があります。ちなみに、高野山極楽橋に向かう初代「こうや」号クハ1900型もその一例です。さらに言うと、九州鉄道のブトク1型がその走りといわれております。Wikipediaでは「展望車」と同じカテゴリに属しますが、実は近鉄2200系の特急車両の一部に、パーラーカーの原型といわれている車両が存在します。
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(Kt1641F)あの人ですね。
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(Kt2303)それは、私のことだね。実は、私の車両が元ですが、「リクリエーションカー」という名称で知られておりました。
クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)まあ、それ以外の車両として、2等車両は電動車の比率を保つため、電動2等車を製造、さらに電動3等、付随3等車も製造し、さらに付随食堂車の生産も開始、151系の形が出来上がってきたのです。ちなみに、パーラーカーも新造でした。
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(クモハ157【昭和35年デビュー】)この当時は、国鉄も車両新造には熱心だったのですよ。
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(Kt2810F)しかし、それだったら、新型車両と、古い車両と2種類あるということになりますが、故障は発生しなかったのですか?
クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)それが、案の定、発生にしたのです。しかもダイヤ改正後の昭和35年になってから、「つばめ」と「はと」が加入したため、こだま2往復、つばめ2往復となった状態で運転を開始、ところが、その時点で故障が多発するありさまとなってしまいました。
3000形SE車
(ORSE)確かに、運用についていた私も、この時、ニュースを聞いていて驚きました。それで、国鉄に問い合わせたところ、こんな回答が返ってきたのです。
「別の編成で運転しておりましたよ。大丈夫です。目的地につくように設定しましたから…」
と。
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(Kt1641F)??? 
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(クモハ157【昭和35年デビュー】) では、張本人に登場してもらいましょう。
(153系)それが、僕です……(^^;。 
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(Kt1641F)な、なんと! はっきり言います。

どうしてこうなった!!!

(153系)実は、特急のスピードアップを行ったことによって、東京駅と大阪駅の間は6時間30分に短縮されたという点が一番大きかったのです。東海道本線は全通初期の御殿場周りを除くと、平坦線が連なる区間ですが、途中に海岸でる静岡県側(沼津駅から浜松駅間)、高原などが広がる伊吹連峰、関が原とバラエティに富んでいたのです。
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(Kt10100)それだとしたら、私の区間では無理ですなww。
(153系)しかし、それに伴って、列車のスピードアップに対応して、電動機に無理が生じてしまい、故障が多発してしまうのです。結果的には、原因が判明し、改良が加えられました。二つあったのですが、一つは、モーターの容量増大による抵抗要領の付則で、これはモーターの密封化で対応しました。二つは、降雪によるモーターを含めた機器類の電圧ショートですが、これも一つ目の原因と同じ形で会い欧したのです。
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(Kt1641F)定時運転を心がけていたのですね。
クロ151【のちクロ181、またクロハ181】型)そういうことになります。さて、次回の土曜日のお話は、昭和36年10月からの「さんろくとお」改正で、東海道本線在来線特急の黄金期の様子について、お話していきます。次回のサブテーマは「黄金期=衰退の始まり」という話をしていきます。次回をお楽しみに。
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(Kt1641F)エンドコールありがとうございます。