名列車列伝特集 05-16「書籍にもなった伝説の名特急! 16」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「こだま」編ですが、今回は最終回です。
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(Kt1641F)長かったですね。ついにフィナーレですか…。
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(Hs1208F)ということで、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「こだま」編の最終回、今回は、車両たちのその後についてお話します。
(クロハ181型【後にクハ181型に改造】)実は、東海道新幹線の開業後、私たちは、山陽本線の特急の運用につくことになりました。ところが、ここで思わぬ問題にぶち当たることになります。その辺については、「名列車列伝特集 01-6『戦争を潜り抜けても、新幹線ができても復活した名特急! 中編5』」で詳しく解説をしておりますが、改めて述べると、で初めから無理なダイヤ設定をしていたことが問題でもあり、それに対応する車両がわたくし151系だけだったということが、迷ダイヤと迷編成を生み出すことに相成ってしまいました。
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(Kt1641F)初めて聞いたときは、えらいことをやったなぁと、思いました。しかし、当時の電車特急車両の編成が、151系しかないという時代となれば、この方法がベターだったというのが、本当のところですし…、また、気動車特急となれば、ディーゼル車両を大量に作る必要があったということになるのではないでしょうか。
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(Nk7189F)確かに、直流電化区間しか対応できなかった電車が、交流区間にも進出するようなるとしても、結構早く、昭和39年の特急「雷鳥」「しらさぎ」号に、481系、昭和40年に特急「やまびこ」「ひばり」号に483系が使用されてからと第1線で活躍したのが早かったのですよね。
(クロハ181型【後にクハ181型に改造】)その関係もあってか、後輩たちに支えられて、私は、直流区間を走る特急車両として、特急「しおじ」「うずしお」といった継投で活躍しました。
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(クハ481型)確かに、私も同じボンネット車両という繋がりから、あこがれを持っておりました。クロ181型のパーラー設備というが、私たちからもかなりあこがれていて、本当に、私たちが九州方面の列車に運用されているときに、「九州までがんばれよ!」と応援をくださったことが忘れられません。
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(Kt1641F)お久しぶり、485系さん。山陽本線の特急では、この二人と組んで運転されていたのですよね。
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(クハネ581型)確かに、その通りで私も、九州方面の寝台特急、特急では、181系さんからの指導を受けて、運用を覚えていたくらいでした。
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(Hs1208F)お二方とも初めまして、直通対応の阪神1000系1208編成と申します。
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(クハ481型)1641編成さんから話は伺っておりました。さて、そのあとを続けましょう。181系を名乗った先輩には二つの種類がありました。一つは先ほど紹介した山陽本線の特急で使用するタイプですが、もう一つは、寒冷地向けのタイプがいたということになるのです。
(クロハ181型【後にクハ181型に改造】)実は、鉄道模型で181系電車と聞くと、こちらでご存知という方が多くなりますが、181系のもう一つの源流となる161系という車両がいました。これが登坂能力の強化と、対寒冷地対策を施した車両として、生まれます。
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(クハ481型)この車両がいたこともあって、181系は日本の直流電化区間を代表する特急車両として認知されることになるのです。
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(クモハ157型)確かに、特急車両の風格があった161系には、151系とは異なる特徴を備えておりました。それが下の画像です。↓
どこが違うか、一目でわかりますよね。
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(Hs1208F)赤い帯、これですか?
(クロハ181型【後にクハ181型に改造】)大正解、実は、東海道本線、山陽本線の特急時代の私と異なったのは、先端部の帯の有無だったわけです。これによって区別していました。
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(クハ481型)これは、登場当初の481系と483系を区別するうえでも特徴として、下のスカートを赤く塗るか、塗らないかで区別していたという逸話すらあります。これが、昭和43年の形式統合で485系になっても、続いたのですから、すごい話です。
(クロハ181型【後にクハ181型に改造】)ただ、私の山陽特急時代は長く続かず。後輩の485系さんに、後を託して昭和48年に、上が撤退の辞令を決断して、上越線の特急「とき」、中央東線の特急「あずさ」に集中投入すると宣言を下したのです。実は、それから2年後に、山陽本線の特急自体が新幹線に置き換えられたと聞いたときは、仕事が手につくかつかないか、わからない心境でした。
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(Nk7189F)確か、パーラーカーもいなくなったのですよね。
(クロハ181型【後にクハ181型に改造】)その通りです。わたくしが中央線に出たころは、クハ181型という名称に変更されたり、雪害をもろに食って機器が痛むという状況が続くという事態が発生しておりました。結果的には、それがわたくしの寿命を縮める結果となったのは言うまでもないでしょう。
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(Nk7189F)そうでしょうね…、私も塩害に苦しんでいる身、立場、環境は違いますが、わかります(((uдu*)ゥンゥン。
(クロハ181型【後にクハ181型に改造】)ただ、はっきり言うと、南海7189編成さんの大先輩である。電7さんには感謝しているのですよ。食堂車を電車に活用したアイディア、特別車の設置というのは、あなたの大先輩が取り組んだことですし、私鉄特急というジャンルを確立させたのも、あなたの世代ですよ。また、近鉄の1641編成さんの大先輩である2200系さんにも感謝しております。パーラーカーの発想を戦後で、初めて投入したのはモニ2300型2303号さんからと伺っております。
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(Kt1641F)それを聞くと、大先輩は喜びますよ。しかも、軽食サービスはあなたのビュッフェシステムが後のスナックカー開発の礎になったことも、感謝しなければなりませんし…。
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(Nk7189F)ありがとうございますm(_ _)m。先輩に代わってお礼申し上げます。それであっても、私たちの先輩たちの技術が、他の車両に活かされることは、誠に光栄です。
(Kh1910F)わたくしも、台車開発でお役立てしていただいたことに、感謝申し上げます。
(クロハ181型【後にクハ181型に改造】)当時のオールジャパン体制で臨んだ車両が、のちの新幹線0系にも生かされて、現在に進んできているのです。おそらく、今の特急車両たちの多くは、私たちの影響を受けて、製作されたものも多いです。光栄なことはありません。
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(Kt1641F)僕たちも、151系の子供なのかもしれませんね。
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(クハネ581型)そうですね。それと、本日きたのが、次回の予告ということでやってまいりました。実は、次の話も「パイオニア」がふさわしい列車の話ですから。
(クロハ181型【後にクハ181型に改造】)確かに、こちらも、初づくしですね。
(N)そうですね。あの列車ですね。
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(Kt1641F)なるほど…。ということで、皆様、いかがでしょうか? 車両の開発にかけた人々の思い、そして乗り心地をよくした先輩たちの努力、これがにじみ出た車両たちが、東海道を走り抜けております。こんな中で、私たちの土台となった車両が、引退した半生を見て考えることは、私たちにも言えますが、人々の思いを乗せた技術者たちの子供であるということ、そして乗客を乗せるということがどれほど大切なのかを思い知らされたお話だったとわたくしには思います。次回は、「ディーゼルカー特急」というジャンルを、一般に認知させたあの列車です。タイトルは、「日本版『フリーゲンダー・ハンブルガー』を飛躍させた名列車!」です。お楽しみに。
(N)次回をお楽しみに。ご視聴ありがとうございました‼