名列車列伝特集 06-1「日本版『フリーゲンダー・ハンブルガー』を飛躍させた名列車!1」

(N)さて、昭和33年といえば、日本の高度経済成長の時期と重なりますが、そのダイヤ改正で、新生電車特急の登場、客車特急の新型車両と新ジャンルの登場と、初物づくしの年でもありました。さらに言うと、東海道本線中心とはなったものの、もう一つの幹線に新たな特急を生み出すことになりました。
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(Kt1641F)そして、その列車は、今に続く「東北新幹線」そして、「北海道新幹線」の礎を築くだけではなく、気動車特急の発展を、果たすことになっていくのです。
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(Hs1208F)ということで、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「はつかり」編で、タイトルが、「日本版『フリーゲンダー・ハンブルガー』を飛躍させた名列車!」の本日は初回となります。本日のゲストは、再びあのお方の登場ですね。
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(C62型)こんにちわ。再び私の登場となったのですが、本日は、イントロダクションとして、お話していきます。
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(583系)わたくしも、のちに運用についた列車もかかわっていくので、私も注目しております。
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(C62型)昭和20年、私はまだ産声を上げていないころ、東北本線を通しで、運転する列車が、急行1本が運転されておりました。それが101/102列車で、1往復が設定されていた理由は、「北海道連絡」と呼ばれる役割です。
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(Kt1641F)どうして、そうなったのですか?
(N)実は、東北系統の急行が初めて登場するのは、常磐線経由の日本鉄道801/802急行で、明治39年、続いて、2年後の明治41年には東北本線経由の201/202急行が登場したというデーターがあり、とも青森駅で青函連絡航路に接続するダイヤ体型になっておりました。大正年間から対北海道は重要視されていたのです。大正年間を経て、昭和初期に入ると、東北本線経由で13時間、常磐線経由で12時間まで短縮したのです。
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(Hs1208F)きゅ、急行で、その時間に短縮できたなんて…、すごい!
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(C62型)確かに、充実していた部分はありました。しかし、戦争を経て、終戦を迎えた後は、東北本線経由で2時間半のスピードダウンを余儀なくされました。実際に石炭事情が絡んでいたのです。しかも、そのために、東海道本線の急行もその影響をもろに受けておりました。
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(583系)しかし、石炭事情だけにとどまりません。実は、日本経済は、当時から傾斜生産経済政策を行っていたころと重なり、石炭ストが発生した時期には、蒸気機関車牽引の客車急行は、皆無の状態に陥ってしまいます。
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 (Kt1641F)そ、そんな!!
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(Hs1208F)あ、あり得ないですね。今だったら…(-_-;)。
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(C62型)それは、その通りで、その後、石炭ストが収まった後は、急行列車が各3路線に1往復ずつ設定されたのですが、実際に走破するのは、常磐線と奥羽本線を経由する急行だけで、東北本線経由は昭和24年までで、仙台駅どまりの急行109/110列車でした。特筆するべきところというと、後に、上野(横浜)駅先発で1201/1202急行となる上野駅先発の1101/1102急行が登場したのです。これがのちに、ネームトレインとして有名車列車となっていきます。そして、最初のネームドトレインが、昭和25年に至り、101/102急行も復活、その最初の列車名が「青葉」と「北斗」となりました。
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(Kt1641F)「青葉」といえば、新幹線で知られた名前でしたが、そのルーツは、この列車名だったのですね。しかし、「北斗」が常磐線経由の急行だったのは、知らなかったです。
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(C62型)実は、私にも、583系君にもかかわる特急となって活躍するのですよ。
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(583系)しかし、急行「青葉」では東北本線経由通しは難しいという形で、仙台駅止まりに戻します。そして昼行列車に201/202列車に「みちのく」、203/204列車に「北斗」が収まります。そのうち、101/102列車の先頭2両編成は201/202列車の「みちのく」に併結という形で残したのです。
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(Hs1208F)試行錯誤の状態だったのですね。
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(C62型)そんな中で、特急「はつかり」が登場するまで、8年となったのですが、他の急行列車が、どういう列車名で登場したのか、という話をしていく必要となってくるのですが、まだ続けましょう。
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(Kt1641F)そうしましょう。で、その急行は、「みちのく」と「北斗」だけだったのでしょうか?
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(C62型)実は、そのあと増発が続くのですよ。臨時列車で登場したのは昭和27年に臨時列車ではあるものの「きたかみ」が、続いては、「青葉」の相棒として後に、仙台駅間を走る名急行「まつしま」が昭和29年に、一般列車化された1201/1202列車が、改めて加わることで、合計で4往復体制となったのですが、最後の一般列車化された列車には、昭和30年代まで名前が付けられなかったのです。
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(583系)つまり、北海道への連絡を確かにする。それが、東北本線経由、及び常磐線経由急行、そして、のちに生まれる特急がその宿命を背負うことになるわけです。
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(Hs1208F)ところで、1201/1202列車には少し異なる運用が組まれていたと聞いております。
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(C62型)実は、1両分船に乗せていたのですよ。昭和26年までには、「みちのく」も船に乗せていたのですよ。
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(Kt1641F)あれと同じですね。イタリアのシチリア島に向かう船に載せるあれと一緒ですね。
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(583系)その通りですが、それが台風によって、取りやめとなってしまったのです。そして、昭和31年のダイヤ改正に、急行は合計で6往復に増えていました。ところで、ここで有名となっていく列車名が数か所ですが、見当たりません。それが、「八甲田」です。実は、5往復の列車名は、「みちのく」、「北斗」以外に、「おいらせ」、「きたかみ」、「十和田」が加わっておりますが、奥羽本線経由の「津軽」が加わっておりました。それが、系統統一に遭って、常磐線経由は「十和田」に統一されることになり、奥羽本線経由は「津軽」、東北本線経由は「八甲田」となっていくのです。この後どうなっていくのか、それは昭和33年の話からとなります。
(N)ということで、次回は特急「はつかり」号のデビューと、その直後のフィーバーに関してのお話していきます。次回をお楽しみに。それでは。