名列車列伝特集 06-8「日本版『フリーゲンダー・ハンブルガー』を飛躍させた名列車!8」

(N)さて、9月第1週が始まりましたが、台風続きですね。仕方がないですが…。
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(Kt1641F)確かに、その通りです。この時期は、台風シーズンですから。それより、今週末に、「青の交響曲(シンフォニー)」が本週末にデビューします。ナレーターさんは撮りにいかれるのですか?
(N)まあ、その点をどうしようかと思案しているのですが、できれば撮影したいですね。
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(Hs1208F)まあ、私のところでも、妹の5700系による阪神線内の乗車関連イベントが行われる予定ですね。確か、今回の「名列車列伝特集」の「はつかり」編も、新型車両の話が出てくるわけですよね。
(N)そうです。さて、昭和43年10月の改正の目前となった8月、東北本線電化が完成すると同時に、関東圏から東北県内を電車特急が行き来する時代が、そこまで迫っておりました。
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(Kt1641F)一方で、日本初の特急用気動車として製作された81系と、その弟分に当たる82系は、新たに設定された特急、それから、既存の特急の増強に充てられることになります。しかし、彼らに代わる車両の登場はすぐそこまで迫っていました。
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(Hs1208F)ということで、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」より「日本版『フリーゲンダ―・ハンブルガー』を飛躍させた名列車!」の第8回をお届けします。
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(クハネ583型)さて、電車化は電化完成からわずか一月もたたない、昭和43年9月9日から、試験運転を兼ねた運用を開始して、10月のダイヤを見据え、運用を開始します。この時点で東北本線経由として、上り下りとも8時間半と2時間も短縮したのです。
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(キハ82型)この改正の背景には、気動車特急として走っていた80系特急用気動車系列のある弱点が露呈したことも背景にあります。
(VT601型)質問したいことがあるのですが、その弱点というのは、気動車にあったことで、それ以外の車両にはなかったことですか?
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(キハ82型)ではVT601型さんに、お伺いいたしますが、特急車両の気動車というのが、持っていた欠点というは何でしょうか?
(VT601型)多分、牽引できる車両の馬力が足りないというのがあります。ヨーロッパ諸国では、TEEを運行していた1960年代、電化区間の種類、周波数の違いをクリアするため、気動車が重宝されていたのですが、その分、燃料で運転する車両と、電気を流してモーターを回し、その回したモーターの力をエンジンに伝えて運転する車両に分かれますが、アムステルダム中央駅先発フランクフルト・メイン中央駅着のTEE『ライン・マン』と、チューリッヒ中央駅着『エーデル・ヴァイス』に電気式のディーゼル車両が、使われておりました。液体式は、私と80系気動車さんたち、ぐらいのものでしょうか。
(N)あっていることは、あっていますが、特急気動車という点でいうと、フランスのTEE車両として登場したRGP1型が有名です。それくらいでしょうか。
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(クハネ583型)そうですね。ただ、このころは、82系が主力となってきたのですが、やはり馬力が、電車急行といった車両よりも、弱いことが露呈していたともされております。
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(キハ82型)そのため、私たちが、東北本線を走る特急列車で、担えるのは秋田駅行きとなる「つばさ」だけとなってしまったのです。
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(Kt1641F)ですが、それでも電車急行より遅いというのは否めないのですよね。
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(キハ82型)そういうことなのですよ。また、東北本線は重要幹線ですから、ほかの列車速く走らなければならないということで、「つばさ」とともに、「はつかり」も2往復に増強することになってしまうのです。
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(クハネ583型)実は、今まで走っていた「はつかり」は、対北海道輸送を意識したものであったため、途中の停車駅が今の新幹線「はやぶさ」に匹敵するほど、速達化をしていたこともあって、私がその話を聞いた時には、キハ81型さんに、確認したほどです。
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(キハ81型)確かに、そんなことはあったのだが、東北本線内でもすごいことになっていたのは確かで、当時の停車駅を書いていくとこうなっていたのですよ。

上野駅 - 宇都宮駅 - 福島駅 - 仙台駅 - 盛岡駅 - 青森駅

これが、当時の停車駅だったのです。
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(クハネ583型)で、それでは東北本線を利用されるお方の、特急に乗る機会が減るということになり、難しいということになってしまったのですよ。
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(Hs1208F)さすがに、仙台駅から、青森駅までの間に、有名な都市である盛岡駅のみの停車では、きついですね。
(N)実は、その思想は、今の「はやぶさ」に受け継がれているということなのですよ。それと、かつて速達性を重視していた私鉄特急でも、そういうことは日ごろから行われていたようですし。
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(クハネ583型)そこで、国鉄では、もう一つのダイヤを組んで午前11時前に上野駅を出る「はつかり」を設定していくということになったのです。途中の停車駅を書き出すとわかってきますが…。

上野駅 - 大宮駅 - 郡山駅 - 福島駅 - 仙台駅 - 盛岡駅 - 八戸駅 - 青森駅

となっておりました。これを、「1・2号」、速達版を「2・1号」としたのです。現在の形に直せば「1・4号」、「3・2号」となりますが、当時は上り下りとも、1本目の列車が「1号」と名乗っていた時代でしたから、こういう表記になってしまいます。
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(キハ82型)そんなこんなで、新生「はつかり」は見事デビューを果たしていきます。
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(クハE657型)ですが、私の担当している常磐線経由の特急列車は、結局どうなっていたのですか?
(N)その1年後の昭和44年に、常磐線経由の特急が復活を果たします。しかし、前年の昭和43年10月のダイヤ改正に関して、全国を見渡してみると、今後の東北本線特急、特にディーゼル機関に関しての車両が、デビューしているのです。
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(キハ82型)実は、その車両の開発は、私がデビューしてから5年後に、行われておりました。さて、次回は、そのディーゼルエンジン関係について、お話していきます。それでは。