名列車列伝特集 06-10「日本版『フリーゲンダー・ハンブルガー』を飛躍させた名列車!10」

(N)さて、本日は面接でだいぶ時間が、削れらておりまして…。
イメージ 1
(Kt1641F)さて、面接って、えらい時間がかかりましたね。
(N)そうです。
イメージ 2
(Hs1208F)大変でしたね。さて、本日の話題の2本目に参らないと間に合わないのでは?
(N)そうですね。それでは気を取り直して、昭和44年、東北本線及び常磐線の特急が走り始めて11年に突入したこの年、東北本線は全線電化され、最速で8時間半、さらに、停車駅にもバリエーションが増えていきました。この後、「はつかり」は対青函連絡のエースに成長します。
イメージ 1
(Kt1641F)今回は、その3つの話を上編、中編、下編に分けてお届けします。
イメージ 2
(Hs1208F)ということで、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」より「日本版『フリーゲンダ―・ハンブルガー』を飛躍させた名列車!」の第10回をお話します。
イメージ 3
(クハネ583型)さて、昭和43年10月以降、特急「はつかり」は、「ヨン・サン・トオ」のダイヤ以降に2往復に増やしたのですが、しかし、需要にこたえきれるものではなありませんでした。
イメージ 1
(Kt1641F)ということですから、実際には、午前10時と午後3時だけでは足りなかったということになってくるのですね。
イメージ 4
(クハ481型100番)この当時は、関東圏から仙台までを走る「ひばり」が時間を確保できており、その点で国鉄上層部の考えは、昼行の中心は仙台、夜行の中心は青森と定めていたというわけです。ところが、需要の高かった特急は、等級改正と同時に、列車の運用の大幅な変化が訪れようとしておりました。
イメージ 5
(クハ481型200番)そのために、特急「はつかり」増備と同時に、東北本線特急の増備に力を入れることになったのです。皆様お久しぶりなのですが、覚えていらっしゃいますか?
イメージ 1
(Kt1641F)あ、あの「つばめ」編で、お会いしましたよね。
イメージ 5
(クハ481型200番)そうです。今回は、「はつかり」編でお世話になります。さて、話を戻します。実は、昭和43年10月の改正では直通する東北本線急行は『八甲田』2往復、東北本線及び常磐線経由の急行は『十和田』で7往復に設定されておりました。そして、昭和45年10月の改正で、『八甲田』の1往復を格上げするという方向に動くのです。
イメージ 6
(キハ181型)確かに、昭和45年に至って、私が投入された後、5年間走っていたのですが、この時に東北本線の特急「はつかり」は3往復に急上昇、さらに、『みちのく』を分割して『八甲田』に戻して、運転していくことになっていきます。
イメージ 3
(クハネ583型)それに、昭和47年3月15日のダイヤ改正で、3往復あったうち、一けた台の列車番号が当てられた「1・2M」の「はつかり3・1号」以外は、主要停車駅が多く設定されていたともされております。ただ、それだけではなく、特急「はつかり」の元祖のルートを走った列車が登場するのです。
イメージ 7
(クハE657型)それって、どういうものでしたか?
イメージ 3
(クハネ583型)実は、僕が担当した列車がそれだったのですけど、かつて東北本線及び常磐線を走っていた昼行急行に「みちのく」という列車があって、その列車が、同じ路線を担当する特急に格上げされてきたのです。
イメージ 7
(クハE657 型)しかし、すごいですね。
イメージ 3
(クハネ583型)でも、その後「はつかり」が往復数を増やすのは、それから3年後の昭和50年のことだったわけですし、それについても多くの理由があったのです。次回の予告は、昭和47年の「みちのく」誕生と、昭和50年までの「やまびこ」「ひばり」の動向、それから「やまばと」「つばさ」といった話について詳しく述べていきます。次回をお楽しみに。それでは。