名列車列伝特集 06-14「日本版『フリーゲンダー・ハンブルガー』を飛躍させた名列車!14」

(N)しかし、私が生まれる少し前の話が多いので、勉強になることが多いですよね。
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(Kt1641F)そうですね。私も勉強になります。
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(Hs1208F)僕もです。で、さて、特急「ひばり」といった短距離列車のほうはどうなっているのか、それについても気になりますね。ということで、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「日本版『フリーゲンダー・ハンブルガー』を飛躍させた名列車!」の第14回です。
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(クハネ583型)で、「はつかり」の本体ではなく、「ひばり」などはどうなっていたのかですが、実は、話していなかったことがたくさんあります。実は、昭和53年10月のダイヤ改正後は、スピードがダウンしてしまうことになります。
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(クハ481型200番)実は、多くの列車が大変なことが起こっていたのです。昭和53年においては感じなかったのですが、この時、東北本線は路線列車数の上限を越えかけていたのです。
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(クハE657型)しかし、どうしてこういうことに…?
イメージ 4(クハ481型200番)「ひばり」は、昭和50年3月ダイヤ改正では、上下13本ずつ運転されておりました。実は、昭和53年10月のダイヤ改正では、上下2本増えて、15本ずつになってしまいました。実は、その関係から本数が増えてしまったこともあり、3時間58分の運転ができなくなってしまったのです。余分にかかった分数は17分、これは、「はつかり」でも同じでした。
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(Kt1641F)しかし、このスピードダウンは、ほかの列車も影響を受けたということは、話で聞きましたが、これほど大きかったのですね。
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(クハネ583型)確かに、そうなっていったのですが、実際に「ひばり」と同時期に、仙台駅に数往復乗り入れていた「ひたち」の場合は、多くが平、現在のいわき駅を中心に活動しており、影響はなかったものの、仙台駅乗り入れ列車は往復数は1往復しかない状態だったのですし、いわき駅以南の発着列車がなく、伸び悩んでいたころでした。当時としては、それで十分だったと言えます。
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(Kt1641F)しかし、東北本線ではそうもいかなかったわけですね。
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(クハネ583型)そうです、東北本線の列車の混雑数は、上野駅から仙台駅までの間だったら、パンク寸前でしたが、この事態をどうするのかの対策に、国鉄上層部は頭を抱えておりました。そこで打ち出したのが、新幹線計画です。実は以前から要望はあったものの、実情が伴うのか判断しかねていたのです。しかし、この改正の7年前に、東北本線の輸送量はもはやパンクすると考えていたためでもあり、この計画をてこに昭和50年以降工事を開始して、昭和57年に東北新幹線は開業することになります。
イメージ 4(クハ481型200番)ただ、ここで一つ減量ダイヤが1度行われたことがあります。昭和55年10月ダイヤ改正です。この減量ダイヤは様々な場所に波及してきます。最も、日本最長寝台列車の「富士」号の路線距離が、短くなったのもこの改正です。その影響は東北本線特急「ひばり」の上下各1本を廃止してしまうということになったのです。「ひばり」にとって、3つの壁が彼らを苦しめたのは言うまでもありません。1つは、上下15本に達した列車数、2つは、停車駅の増加による速達使命の低下、3つはサービス減退によって生じた国鉄離れというものです。彼らにとっては、新幹線に移るまでの2年間は拷問だったということにほかなりません。
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(クハE657型)「みちのく」さんの方はどうだったのですか?
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(クハネ583型)一方で、「みちのく」に至っては、1往復の牙城は維持したものの、結果的には、2年間の拷問機関に変わりはなく、昭和57年のダイヤ改正によって消滅し、上野駅から仙台駅までの区間を「ひたち」さんが受け持つことになります。ということで、今回は、ここまでとなりますが、次回は対照的な「つばさ」と「やまばと」についてお話します。次回をお楽しみに。