地震から半年、私は、村を立て直す世代として頑張る!

本日の話題の2本目は、「がんばろう熊本【熊本大地震関連】」から「地震から半年、私は、村を立て直す世代として頑張る!」という表題で、お送りします。そのため、舞台は、南阿蘇村に戻ってきます。

さて、4月14日の地震からは半年が過ぎたのですが、実際に言うと、「熊本地震」の記事がめっきり減ってきました。さらには、鳥取県で発生した「鳥取中西部地震」の報道も目立つのですが、その中で、今回は、その中で南阿蘇でがんばっておられる中学生のお話です。

実は、今回紹介する、南阿蘇中学校の生徒会長河津奏人さんについては、幣ブログの「避難所を運営しているのは中高生? ある避難所の小さなお話」という記事で、一度ご登場されておられますが、今回の主役は彼となります。4月22日の記事から半年余り、その後の様子を産経新聞が取材したところによると、
イメージ 1阿蘇山噴火によって、彼の父親が営んでいる温泉旅館は、営業ができない状態に追い込まれておりますが、彼自身は、「何とか皆の気持ちを一つにしたい。僕らの世代ががんばらなければ、元の村にできない」思いで、現在も頑張っているとのこと、今回の地震以降、地震の被害が大きかった南阿蘇村では、多くの住民が被災地を去るという事態が続いており、それは、河津さんの通う中学校にも影響与えておりました。
それは、学友が去っていくということで、河津さんも、

「頼むから転校しないでくれよ」

というメールを送ったこともあったそうです。一時的にはとどまった人もいたということですが、半年間苦難を共にした友人たちも、熊本市内などに疎開という形で移り住んでいるとのことのようです。

実際に、7月には、豪雨災害も経験、さらに、本月8日には、阿蘇山噴火。まさに、

「今までやってきたのは何だったんだろう」

と思わずにいられない状況となっていたのは事実です。そんな彼の心を、支えていたのが、彼の父親河津進さんで、体育祭で弁当に自らの腕を振るったのだとか、そして、河津さん自身も、この体育祭で、こんな幕を掲げます。

《私たちは、南阿蘇村が大好きです》

と、これは、彼のみならず、南阿蘇村に住む誰もが思うことだといえます。育った街に嫌いな街などないのは、多くの方が思うことです。彼の気持ちを願いとして込めたものといえるかもしれません。

彼をそう思わせたのは、おそらく、父親の進さんの影響は大きいでしょう。実際に、調理の系統や、経営学を学ぶ道に進もうとしている彼が抱いている夢は、「父親の経営する旅館を継ぐこと」だというそうです。「継ぐ」というより、「立て直す」が正しいかもしれません。
ちなみに、彼は、

「あんな状況でも無理して弁当を作ってくれた。父の背中を追い、阿蘇を復興させたい」

という思いを強くしているようです。

がまだす!!! 河津さん!!!

どんなことでもくじけずに、頑張っていきたいところですね。

ということで、次回記事は、小学生の女の子が、空手で震災を乗り越えようとするお話を提供する予定です。タイトルは、「地震から半年を経て、もっと強くなりたい!」とすることになります。それでは、次回をお楽しみに。