地震の規模、被害は130年前と同じなの?

本日の話題の2本目は、「がんばろう熊本【熊本大地震関連】」から、130年前のことを話と、今回の熊本地震の類似点について、お話をしていきます。

さて、本年の4月14日に前震、4月16日に本震が起きていたのですのですが、
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この話を聞いて、私も驚いたのですが、130年前ということは、明治22年に起きた地震のお話になるということです。本日の記事は、西日本新聞社配信の記事となりますが、明治22年に起きた「明治熊本地震」の被害が、熊本地震と合致している可能性があるということが、今回、明らかになったことです。

その場所は、「熊本城」です。熊本市が今回公開したのは、熊本城の被災状況を旧日本陸軍が記した文書と絵図計80ページの一部ですが、今回の地震でも被害のうち、77%が、明治熊本地震でも被害を受けていたことから、復元作業の参考になるといわれております。
今回、熊本市は、

「崩落した石垣の復旧手法を検討するのに役立つ」

と述べております。で、どうして、この史料が残っていたのかと言いますと、熊本市にはかつて、陸軍の鎮台がおかれており、西南戦争時(「明治熊本地震」からさかのぼること12年前の明治10年)に、薩摩反乱軍に包囲され、総攻撃されても名将加藤清正の遺伝子が生きたのか、陥落せず終わり、その後も鎮台がそのまま置かれていたのです。
そして、明治22年の「明治熊本地震」発生時に、日本陸軍の熊本にある旧第六師団が駐屯中であったことから、明治天皇の勅命を受けて、調査を行い報告書に取りまとめたものとされております。それが、第二次世界大戦を経て宮内庁に保管されていたことによるもので、今回の「平成熊本地震」の被害を調査してまとめたところ、以前被害に遭った箇所と類似していた部分があることが分かったというわけです。

さて、「明治熊本地震」の報告史料では、「石垣44カ所が崩落、石垣の表面が変形し膨らむ「はらみ出し」が18カ所で確認された」と書かれております。実は、その被害は、今回の「平成熊本地震」のほうが被害が大きいとされております。
理由は、「明治熊本地震」と「平成熊本地震」では、地震のマグニチュードが異なり、「明治熊本地震」のほうが、マグニチュードが抑えられておりました。ちなみに、実際の力は32倍ですので、どれだけ威力が大きいかお分かりになると思います。
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そして、今回の史料では、新たに2か所で被害があったこともわかっていたのです。
今年の被害箇所と明治期の被害箇所の8割近くが重複することについて、(1)被害を受けやすい地震に弱い地盤があること、(2)明治期の修復技術が不十分だったこと-などが原因になっているというわけです。

がまだす!!! 熊本市!!!

これから、熊本市の努力は続くと考えられます。それゆえ、これからが楽しみですね。

ということで、次回をお楽しみに。それでは。