名列車列伝特集 07-7「2度の栄冠を手にした最長距離特急、日本海沿岸の発展に寄与した名列車! 7」

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(Hk1000F)あのー、うちも参加させていいですか?
(N)おやおや、これは阪急1000系の1000編成さんではないですか。
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(Kt1641F)お久しぶりですね。どうされていたのですか?
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(Hk1000F)実は、今回の話で参加したのは、大阪から京都に向かう1300系が抱いていた疑問があったことから、聞いてきてほしいと頼まれまして。
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(Hs1208F)おお、1000系さんお久しぶりですね。
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(Hk1000F)おやおや、1208編成さん、ここまで来たのですね。それでは、聞いてみたいのですが、面白いですね。
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(Kt1641F)それより、ナレーターさんさっそく話に行きましょう。
(N)そうですね。では、始めましょう。昭和45年の万博を経て、電化区間が大幅に伸びた昭和50年代に突入するのですが、その中で、特急「白鳥」も変化をしていく事になります。
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(Hs1208F)ということで、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」から「2度の栄冠を手にした最長距離特急、日本海沿岸の発展に寄与した名列車!」の第7回です。ということで、クハ481型200番さん。お話をお願い致します。
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(クハ481型200番)はい、お話させていただきます。昭和47年10月の改正で貼れて私が担当となりました。しかし、それから3年後の昭和50年に、一部の経由路線が変更となったのです。
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(Hk1000F)そういえば、223系さんとときどき話をするのですが、敦賀駅に向かうのにどういうルートがあるのか、聞いたことがあるのです。
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(クハ481型200番)確かに、223系君は、そのルートの2つとも知っているのですよ。一つは、長浜市を抜ける北陸本線のルートです。これは、北陸本線の特急が通るルートとして、昭和36年の特急「白鳥」が登場して以来、14年もの間使用されてきたルートでした。ところが、このルートでも13時間を要することはわかっており、京都駅と敦賀駅を短絡させるルートが必要になってきたのです。これに関して、歓喜の声を上げたのが、高島町などの人たちでした。
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(Kt1641F)湖西地域の鉄道はあまり通っていなかったのですか(?_?)。
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(Hk1000F)実は、阪急電鉄とライバル関係にある京阪電鉄は、京津線と石山・坂本線を引いており、さらに、その先に廃線となった鉄道が敷かれていたこともあって、比較的鉄道がとおっておりました。それが江若鉄道です。
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(Hs1208F)江若鉄道(?_?)。
(N) 実は、京阪電鉄浜大津駅にかつて、江若鉄道の浜大津駅があり、そこから膳所駅までの区間に三線軌条が伸びていたといわれております。これが、湖西線のもとを作ったといわれており、湖西線の一部の駅が、移転ないし改名したのですが、ルートの大部分を継承して、出来上がったのが、今の湖西線ということになるのです。
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(クハ481型200番)ナレーターさんありがとうございます。そういうわけで、昭和50年のダイヤ改正以降は、それによって、距離数が短くなります。1040キロになりました。実は、登場当時は、1052.9キロでした。昭和40年ダイヤ改正で16キロ長くなり、1069.4キロになり、湖西線経由にした後、1042.5キロになっておりました。
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(Kt1641F)すごいですよね。これを、485系で運転されておらるなんて、大したものですよね。
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(クハ481型200番)確かに、私にも重労働でした。実は今回の話以外にも、初期の特急は長距離運用が多くを占めます。その最たるものが、この「白鳥」でした。
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(Hs1208F)そういうことだったのですね。確かに、特急列車では、これが最長だったわけですね。
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(クハ481型200番)そうですね。確かにその通りです。ただほかの列車は、新幹線に代わって行ったのですが、新幹線以外でこのような長距離を走っていたのが、私たちががんばっていたのです。そして、昭和53年には、グリーン車の利用率が低くなったため、1両減車して12両編成で走っておりました。その後、大きな変更が起きるのは、昭和57年11月の上越新幹線の開業です。これ以後、昭和60年までの3年間は、12両編成で走っておりました。
(N)ということで、次回は、昭和57年以降のお話をしていきます。次回をお楽しみに。