名列車列伝特集 07-9「2度の栄冠を手にした最長距離特急、日本海沿岸の発展に寄与した名列車! 9」

(N)さてさて、昭和57年まで、特急「白鳥」といった長距離特急は、曲がり角に差し掛かっておりました。さて、昭和55年以降どうなっていくのでしょうか?
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(Hk1000F)そういうことで考えると、昭和55年というのは、どういうことがあったのでしょうか?
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(Kt1641F)私も、生まれていない時期ですので、確か、私のデザインの大本となった1400系と8810系先輩が生まれたのがその翌年ですよね。
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(Kt1508F)よ、呼んだ?
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(Hs1208F)あ、鶴橋駅で顔を合わせておりますよね。
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(Kt1508F)そうだけど、これ何の集まり?
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(Kt1641F)あ、タイトルご覧になりましたか(滝汗)?
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(Kt1508F)「名列車列伝特集」(?_?)。
(N)そういうことで、時間も押しているので、始めましょう。ということで、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」から「2度の栄冠を手にした最長距離特急、日本海沿岸の発展に寄与した名列車!」の第9回をお届けします。では、クハ481型200番さんお願いします。
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(クハ481型200番)では、話を始めます。昭和55年時点で、485系電車が全国各地で運用されていた、12種類ありました。特に、往復数の多かった列車は、「ひばり」(06で紹介済み)と「雷鳥」のみでした。それには、わけがあります。首都圏及び、関西圏から在来線で4時間かかるという設定ができる地域は限られており、東京からだと、在来線で仙台駅までがやっとで、大阪からだと、富山県が迄が限界といわれておりました。
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(Kt1641F)ということは、特急「ひばり」の15往復は、妥当な数字だったということですか?
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(クハ481型200番)そういうことになりますね。今では、その倍の数を走らせている「はるか」さんは、京都駅から関西国際空港を結ぶのですが、それでも短い距離であることから、ピストン輸送ができるという話でしょ。
(Hs1208F)確かに、その通りですよね。
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(Kt1508F)それに比べて、長距離輸送というのは、かなり時間がかかるし、言って戻るまでの距離が面倒といいますか…。
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(クハ481型200番)そういうことですね。実は、特急「白鳥」も「はくたか」も、その点では、非常に扱いにくい列車だったことは確かです。実際に車掌は、新潟駅で入れ替わりますし、そのほかにも、運転経路には四季どころか、極寒環境の地方と、比較的安定した気候の地域を発着するのですから、メンテナンスでも扱いにくかったというのは、当時の鉄道雑誌及び、漫画でご存知の方も多いでしょう。
(N)そういえば、講談社発刊の鉄道マンを主人公とした漫画「カレチ」で、初回に登場した列車も「白鳥」でしたし、実は国鉄終焉編でも「白鳥」が登場してきたのですよね。
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(Kt1508F)それ、私も読みましたが、特急「白鳥」の苦労話は、多かったですね。
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(Hs1208F)雪の中で、列車に遅れが出てきたら、人数水増しということですか…。
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(Kt1641F)なるほど、そんな話もあったのですね。
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(クハ481型200番)それは、実際の話を基に作ったものですから、「あのまんま」というわけではないですよ。こんな感じだったら、逆に反発に遭います。
(N)た、確かに…(-_-;)。
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(クハ481型200番)そんな話で、昭和57年の改正を迎えるのですが、この時点で「白鳥」の相棒として、活躍してきた「はくたか」を廃止するという動きがあったのです。これは、特急「とき」の項で詳しくお話があると思います。その時に詳しく解説していきます。その「はくたか」は、この後、新幹線になることなく、思わぬ形で復活するのですが、その時点までは「北越」がこの運用を受け継ぎ、温存させることになるのです。
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(Hk1000F)しかし、その沈黙の期間というのは、長かったわけではないのですよね。
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(クハ481型200番)確か、ナレーターさんが中学を卒業した時に、正式に運航を介しますから、16年後といえばいいかもしれません。と、それは置いておきますが、「雷鳥」がこれによって、特急列車本数でトップに立ちます。しかし、それも3年で「ひたち」の手に奪い返される形になりました。
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(Hs1208F)その3年間で、何があったのですか?
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(クハ481型200番)国鉄では、運航路線の相次ぐ縮小を行っておりました。確か赤字を抱えていた白糠線を廃止したのが昭和58年。そして、縮小は相次ぎます。同じく昭和57年のダイヤ改正では、「白鳥」の往復数が増えることになったのです。1本だけですが。
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(Kt1508F)1本だけですか? どこを結ぶ列車だったのですか。
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(クハ481型200番)それが、発着駅が福井駅でした。それで青森駅の発着は変わらなかったのです。これには、変わった理由があります。金沢駅発着の青森駅に向かう長距離急行列車が存在していたのです。実際に、どちらの駅とも早朝始発、深夜終着の便で、これを特急に格上げしたのが、特急「白鳥1・4号」です。そのため、今まで「白鳥」は「白鳥2・3号」となったのです。
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(Kt1641F)しかし、それが昭和60年になる1往復に戻っているのでしょうか。
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(クハ481型200番)実は…、特急「白鳥1・4号」はお客さんが入ら無かったということです(-_-;)。
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(Kt1508F)そうですよね。確かに、その通りですよね。
(クハ481型200番)だからです(-_-;)。しかし、「雷鳥」では、とんでもないグリーン車が誕生したのです。それは、「団らん」と呼ばれるグリーン車です。
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(Hk1000F)それって、先輩から聞いた話ですが、お座敷列車の風合いを出したグリーン車ですか?
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(クハ481型200番)よくご存じですね。その通りです。この「団らん」は一部の「雷鳥」の編成で活躍した元食堂車でした。実は、長距離特急の食堂車の利用は減少の一途をたどっていました。主に長距離ディーゼル特急「おおとり」と「オホーツク5・2号」が辛うじて現役だったのですが、それも風前の灯火だったのです。また、この改正から漏れている「しらさぎ」は、「白山」、「加越」と共通運用を取り、2種類の車両で運転されることになります。
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(Kt1641F)それは、485系電車と、489系電車ですか?
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(クハ481型200番)その通りです。実は、「白山」は、「はくたか」の運用の1往復分を受け持つことになり、4往復で運転されておりました。
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(Hk1000F)そうだったのですね。すごい数ですね。
(N)そういったわけで、昭和60年のダイヤ改正以降は、国鉄の解体に向けての下準備という形になり、昭和61年のダイヤ改正で最後となりますが、この時点で、特急「白鳥」は国鉄の殻を破るために、独自の車両たちで編成を固め、黎明期のJR特急を支えていく事になります。次回からは、JR初期の時代に入ります。そして「雷鳥」には、JR期に入りさらなる飛躍の舞台が用意されておりました。次回からは、そのお話をしていきます。
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(クハ481型200番)ナレーターさん解説ありがとうございます。もう遅いですし。次回に回しましょう。
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(Kt1641F)次回をお楽しみに。それでは。