マンションの1室から、全国に挑戦した食堂の被災者支援! 中編

本日の話題の2本目は、「がんばろう熊本【熊本大地震関連】」からの記事ですが、今回は、「マンションの1室から、全国に挑戦した食堂の被災者支援!」の中編をお届けします。

さて、4月14日に起きた地震によってどうなったのか、それについてお話します。4月14日の前震、4月16日に起きた本震を期に、どうなっていったのでしょうか。

まず、4月16日以降、相藤春陽さんがまず取り組み始めたのは、離乳食を必要としているお方に届けることでした。なぜ、そうしたのかですが、実際に、熊本市内に遭った食堂はまさに被害に遭ったものの、被災の程度が、その地域地域によって、異なるという現状、さらに、合計1000回以上にも達した余震が続く中で、一番弱い立場に立たされているのは、子供であるということに気づいた彼女がとったのが、乳幼児の離乳食作りだったというわけです。

実は、この地震よりも前から、相藤さんは、

「農家さんにとって、畑仕事を休むことは死活問題でもあります。畑の作物は、地震があったからといって、生長を休んでくれるわけでもありません。自分自身が被災して、大変な状況にあるのに、食材を市場に出すために、懸命になって働いている生産者がいる。そのことを、食卓にいる人たちに伝えなくては! と、強く感じました。そのために、食に携わってきたわたしができることは何か、と考えるようになりました」

と考えていたのです。この思いが、地震が起きたことで強くなり、また支援を受けたママたちからの声を聴いたことが、相藤さんに新たな光をともたらし、

「熊本は、すばらしい生産物の宝庫だということを再認識しました。さらに、それを育てている生産者さんたちの姿を見ることで、この人たちに喜んでもらえるような活動をしたい、とどんどん具体的になってきました。春陽食堂で取り組むべきことは、その熊本のすばらしい食を、生産者のこと、土地のこと、食べ方のこと、いろんなことを伝えながら、家庭の食卓へ届けることだと。わたしの事務所から始まった春陽食堂ですが、届ける先にも春陽食堂が広がればいいなぁ、という想いがとても強くなってきました」

と、語っております。

そのように思った理由が、どこにあるのかといいますと、熊本県の農業生産額は日本全国でも優秀といわれており、実際に、地元でとれる農産物が、食卓に並ぶことは、日常では当たり前といわれているほど、農業県のイメージが定着しております。

今回の2度にわたる地震は、「その土台にくさびが撃ち込まれた。」という表現が、正しいのかは分かりませんが、実際の被害を見てみると、私はそのように感じます。
ただ、復興への意識は根強く、それは相藤さんにも言えることのようで、10月15日に、「春陽食堂プロジェクト」を立ち上げたのです。
その理由は、彼女の職歴にあります。それは、管理栄養士、フードコーディネーターという立場でこれまで食生活のアドバイスや栄養カウンセリングを行ってきた経験と、家庭の食卓を守る母としての経験が、結びついたことから新たな食を展開して行くプロジェクトでした。
そして、再開した食堂で、新たに展開したのが、〈旬米 鼎(かなえ)〉ということです。

「新米ではなく、旬米。熊本の各地で収穫されるお米を、この季節には、この地域のお米。こんな風に旬のものと一緒に味わってほしい、といった具合に提案したかったのです。その第1弾が、水俣の久木野地区の棚田で収穫された棚田米です。久木野地区の棚田の美しい景観はもちろん、昔ながらの石積みの風景や、棚田を潤す湧水のすばらしさ、そしてその土地で暮らす人の営みなど、実際に足を運んで、見聞きしたことも含めて伝えていきたいのです。何よりも、わたし自身が、おいしい、と感動したお米でもあります。不思議なのですが、炊けば、ほんわりとした香ばしい香りがします。ぜひ、たくさんの人に味わってほしい」

と語っております。つまり、食べて「おいしい」と思ったことがきっかけでいいのではないか、それをきっかけにして、熊本で育ったその商品が、どんな地域で、どんな人たちの手によって、どういう風に伝えられてきたのか、興味につなげ、セレクトブランディンクを進める。

これにより、熊本県産の食物がブランディンアップされ、それを担っていくのが春陽食堂の役目であると彼女は認識しています。

では、今の相藤さんが何を思うのか、それは、次回の記事でお話します。それでは。