真田丸を見に行こう! 13

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「真田丸を見に行こう」の第13回です。

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再び、鶴橋駅に戻って、撮影を再開しました。もちろん陣取るのは、
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鶴橋駅大阪上本町側ホームです。ここに、大阪上本町駅行き普通が到着。
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編成は大阪上本町駅側が、1430系1436編成、伊勢側が、2800系2807編成です。
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奈良線では、大阪難波駅どまりの普通が入線。編成は、9020系9026編成と、8000系8781編成です。この直後に、
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その直後に見送ったのが、30000系ビスタカーEXの奈良駅行き特急、そのあとに、
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2800系2806編成の榛原駅行き区間準急でした。

ここで、その後の真田丸についてですが、もともと真田丸が潰されて以降、徳川幕府がとった政策は、「豊臣秀吉の治世の否定」というものでした。実際に、「豊臣秀吉」の生きた時代を描いた軍記小説が売られていたのは、それから60年後の話であって、元禄文化などが花開くころには、江戸幕府が再建した大坂城を誤って、豊臣秀吉が建設したころと同じだと。勘違いしているのもそこからくる話です。
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(今の画像は、12200系と22000系の大阪難波駅行き特急
ただ、それは学術調査をすれば、その意味が明らかになってきますが、その調査が行われたのは、それから300年後の昭和34年のことで、案の定、江戸時代のウソがばれる結果となってしまいます。
しかし、それまでの見解では、真田丸があったのかは各学会で説が唱えられていたわけです。その理由は、当時の古地図に相違があったことにあります。
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(上の画像が、2806編成に連結されていた1430系1442編成、下の画像が、阪神1000系1203編成の大和西大寺駅行き区間準急
実は、真田丸が最新資料で、全貌が判明するまで、60年後の世代の史料を参考にしていたこともあり、形がバラバラで想像上のものともされていたこと。そして、攻撃の点から、平原に突如できた出城という点が理由とされてきたのです。

ところが、その話を否定しているのが、すぐそばに、谷町筋を中心とした城下町が、形成されていたことで、市街戦だったという説が現在有力となってきております。

少し解説が長すぎましたが、次回は、鶴橋駅の撮影をしながら、先ほどの解説の続きをお話します。