真田丸を見に行こう! 14

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「真田丸を見に行こう」の第14回となります。では、始めましょう。

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さて、江戸時代、「真田丸」が60年もの年月を経て、おぼろげな形でしか復元できなかったのか、要は、徳川幕府の検閲があったことから、なかなか公というわけに行かなく、公表のタイミングがうまくいかなかった部分もありました。
(上の画像は、2430系2432編成大阪上本町駅行き区間準急
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本格的に歴史の研究が開始されるのは、江戸幕府が慶応4(1867)年に、「大政奉還」を行って、明治維新に移ってからになります。
(上の画像は、9820系9722編成神戸三宮駅行き快速急行
実際に言うと、明治43年に映画化していて、その後も何度も映画、ドラマ化も行われており、人々の記憶に残る人物しか見ていませんでした。
小説では、『真田三代記』、『真田十勇士』が人気となり、特に大正時代に大ヒットしたのが『真田十勇士』でした。
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(上の画像は、阪神1000系1519編成奈良駅行き快速急行
ところで、真田信繁と「真田丸」について調査が始まったのは、ここ最近の話ですが、実際に、真田信繁と幸村がなぜ分けられていたのか、それについは、実際に言うと、「幸」は祖父真田幸隆、さらに父昌幸というように、アイデンティティーとして、「幸」が使用されており、兄も信之(改名前は信幸)と名乗っていたことから、この字を使うのは、説得力があるとされておりました。
そして、「村」という字が、どういう意味を示すのか、それは徳川家にとっては、妖刀といわれる「村正」から取ったともいわれているのですが、はっきりしたことはわかっておりません。
昨年の大河ドラマ『真田丸』では、息子大八に、くじで選ぶというシーンがありましたが、それもあり得たことかもしれません。
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(上の画像は、9820系9730編成尼崎駅行き区間準急
確かに、「真田は日の本一のつわもの」と評価されたことを考えると、彼らが日本史に刻んだ心は、今の私たちにも受け継がれているのかもしれません。
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それはともかく、「真田丸」の全貌が明らかになるのは、そう遠くない未来かもしれません。
(上の画像は、2800系2816編成と1420系1421編成高安駅行き普通
ということで、
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この画像で、本日の〆とします。上の画像は、30000系ビスタカーEXの大阪難波駅行き特急でした。次回は最終回の前の回となります。鶴橋駅での撮影です。
ということで、次回をお楽しみに。それでは。