22年前の記憶を熊本に! 前編

本日の話題の2本目は、「がんばろう熊本【熊本大地震関連】」より「22年前の記憶を熊本に!」という、意味深なタイトルを着けさせていただきました。今回の記事は、バズフィードジャパン社が配信した記事を取り上げます。

一昨月の17日、阪神震災発生から22年を迎えましたが、私は、発生当時は、中学生になるかならないかの時に当たる時期に、この震災を経験していて、布団をかぶって揺れが収まるのを待ったなんてことがありました。
実は、昨月末の25日と26日に、愛知県名古屋市で開かれた「ほっと@九州フェア」で、熊本県の現状を報告していた愛知県内の高校生を含むグループは、実際に熊本県に出向き、被災地で感じたことをプレゼンされていたそうです。

実は、その中に、今回のタイトルにかかわってくる、一人の女性がいます。
22年前の平成7年、兵庫県に住んでいた阪口杏沙さんは、当時高校2年。1月17日の午前5時46分、阪神大震災の発生で、自宅が傾くという被害に遭ったのです。当時彼女の住んでいた地域は、海岸地域に当たり、その場所ではインフラ自体がストップして、避難所での生活を余儀なくされていたのです。

阪口さんが体験したなかで、一番ひどかったと語ったのは、市役所で過ごした日々だそうです。どうしてかと聞きますと、市役所には、遺体が担ぎ込まれ、その詩集をドライアイスで冷やしている姿などが、目に入っていたわけです。

実は、阪口さん自身も、友人を今回の地震で亡くしておりました。そして、地震報道を行っていたメディアは、「オウム真理教事件」にシフト、そして阪口さんは、

「さみしかったですよね。どんどん忘れられていくんだろうなって」

と感じたのだそうです。

その思いは、22年後も変わらずでした。阪口さんは、その後、JR東海の社員のとして、現在活動をしている今でも、

「地震の前にあった日常はけっきょく、戻らないままでした」

と語っております。

では、なぜ、熊本の地震と関連が出てきたのか、それについては、後編に回します。

それでは。