名列車列伝特集 09-2「山陰本線を名路線に成長させた名特急! 02」

(N)本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」から、「山陰本線を名路線に成長させた名特急!」のお話ですが、今回は「まつかぜ」の飛躍のお話を始めますが、まず、疑問がありますよね。
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(Kt1641F)そうです。どうして、京都駅先発だったのかですよね。
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(Hs1208F)私も同じです。
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(キハ82型)実は、京都駅から出てきた「まつかぜ」が大阪駅を経由して、福知山線に入ったのかですよね。実は、当時の山陰本線は特急列車が走れる地盤自体は整っていないのですが、実は、昨週の記事で誤りがありまして、実は、前に紹介した「白兎」ですが、京都駅先発と大阪駅先発の列車があったため、実質上フォローすることになり、それ以上、それ以外に、急行「三瓶」という列車も投入されて、大阪から山陰本線の列車が、2往復となっておりました。
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(Kt1641F)なるほど、そう言ことです。ただ、何故京都駅先発の列車が、大阪駅を経由していくのかですよ。
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(キハ82型)その質問の答えだけど、当時の大都市だった大阪市を無視することができなかったという点があります。実は、当時の関西地区のターミナル駅は大阪と京都駅しかなかった状態で、大阪という大都市を無視できなかったということになります。そのために、特急「まつかぜ」が、京都駅から大阪駅を経由して、松江駅に向かう「まつかぜ」が誕生したのは、京都駅と大阪駅から山陰本面の連絡のためということになります。しかし、特急「まつかぜ」の登場から3年後、運転区間が変更されることが決まり、なんと、松江駅を抜けて福岡県福岡市の博多駅に向かうことになったのです。
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(Hs1208F)は、博多駅ですか? ということは、山陰本線の大部分を走行したということですか?
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(キハ82型)その通りです。博多駅まで所要時間は12時間を超える走行距離となったわけです。そのため、12時間で走るということは、特急「白鳥」がディーゼル特急だったころで、15時間(第7弾でお話したのですが)ですので、それに続く列車となりました。
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(Kt1641F)ただ、キハ82型さんだけで走っていたのですよね?
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(キハ82型)ええ、そのため昭和40年代に入っていくのですが、この最初の年となる昭和40年に、急行系統ですが、後の「こうのとり」となる「丹波」が3往復化されます。一方で、京都駅先発の急行は、後に「きのさき」として復活する「丹後」が3往復運転されておりました。実は、急行系統に変化が出るのが、昭和43年10月の「ヨン・サン・トオ」ダイヤ改正の時です。実は、この改正で、大阪駅先発の列車は「だいせん」と「丹波」に固定され、京都駅先発の列車は「白兎」と「丹後」で固定されるという時代が、昭和63年まで続くということになります。一方で、特急系統については、「やくも」が昭和40年に登場します。これは、新大阪駅から浜田駅までの区間を担当していた列車でした。そのため、「まつかぜ」と「やくも」による山陰本線及び福知山線の特急形態が7年も続くことになります。その「やくも」が伯備線の特急として運転されるようになるのは、これから7年後の話です。
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(Hs1208F)そういうことだったのですね。よくわかりました。
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(キハ82型)そういうことで、特急「まつかぜ」に新たに加わる仲間が、二人います。それがだれかは、次週をお楽しみに。それでは。
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(Kt1641F)エンドコールありがとうございます。