名列車列伝特集 09-5「山陰本線を名路線に成長させた名特急! 05」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「まつかぜ」編の第5回です。さて、昭和46年に登場した山陰本線ないし、山陰本線に乗り入れる特急列車を中心にお話してきました。
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(Kt1641F)そういうことは、今回は、昭和47年のお話ですよね。
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(Hs1208F)そういえば、昭和47年というと、多くの列車たちに変化が起きたといわれているダイヤ改正ですよね。
(N)実は、昭和50年に次いで、もっとも列車の変化の激しかったダイヤ改正でしたが、この改正から、日本全国に特急が走るという時代に突入していきます。では、1641編成さんよろしく。
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(Kt1641F)ということで、「山陰本線を名路線に成長させた名特急! 」の第5回です。キハ82型さん、そして、初登場のキハ181型さんよろしくお願いします。
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(キハ82型)昭和46年のダイヤ改正から誕生した、特急「おき」ですが、その翌年に山陽新幹線の岡山駅の開業で、思わぬことになっていきました。この年に「やくも」の任務地が変更となり、「おき」の岡山駅と、新大阪駅の区間を削った区間を引き継いで、岡山駅から出雲市駅、または浜田駅、益田駅間を担当することになりました。この時に往復数も多くなるのですが、4往復あります。出発便は、岡山駅を午前10時43分発の下り第1便、午後6時43分に出る下り第4便が出雲市駅到着便となり、午後1時43分出発の下り第2便が浜田駅到着便、午後3時18分発が下り第3便が益田駅到着便となりました。ちなみに午後3時18分発の列車が最長距離便でして、益田駅到着時刻は、約6時間後の午後9時8分着でした。
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(キハ181型)皆様お久しぶりですね。私も、381系電車に後を託す昭和57年までを担当するのですが、私は、四国地方を走る特急も担当しており、気動車特急が九州から北海道まで、運転されるきっかけも作りました。しかし、それだけではない事態も生み出しました。今まで新大阪駅と出雲市駅を結んでいた「やくも」は、鳥取駅と出雲市駅の区間を削り、「まつかぜ」の増発便となりました。そのため、博多駅行きの「まつかぜ」は「まつかぜ1・2号」に、鳥取駅行きの「まつかぜ」は、「まつかぜ2・1号」となったのです。
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(Kt1641F)そういうことだったのですね。すごい話になっておりますね。ということは、大阪口は「まつかぜ」として統一し、岡山口は「やくも」という体制が出来上がったのですね。
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(キハ82型)その通りですが、長距離列車そうなります。実はこの改正で、特急の定義が見直されていくのですよ。関東では、房総半島を走る各線に特急の設定が相次ぎ、急行の列車の格上げが進むことになりました。この時に、京都を出る急行「丹後」と、播但線経由をして大阪駅と北近畿を結ぶ急行「但馬」が、特急列車として格上げされることになります。それが特急「あさしお」と「はまかぜ」だったのですよ。ちなみに、生き残っている「はまかぜ」の最長運転区間は鳥取駅ではなく、倉吉駅までだったわけです。この後、「おき」は3年ほどの冷却期間に入りましたが、急行列車が特急列車に格上げされて、消滅したのが平成に入ってからですので、少し後だったと思います。
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(Kt1641F)なるほど、その一歩が示されたというわけですね。
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(キハ181型)その通りです。実は、急行列車から特急列車への格上げというは、何も昼行列車だけにとどまらず、夜行列車にも普及していきます。実は、この改正で急行として活躍していた「瀬戸」と「出雲」が、特急列車化されます(名列車列伝特集 04-8「寝台特急の言葉を作った名特急! 08」でも触れております。そちらもご参照ください)。
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(キハ82型)まあ、時代の流れは、その列車を動かしている人たちが、いろいろと影響を受けた改正だったというわけです。その後、蒸気機関車の定期運用が終了するのは、その3年後の話ですが、その後どうなるのかは、まだわかりません。ということで、次回は、昭和50年の改正までのお話していきます。ということで、次回をお楽しみに。それでは。
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(Hs1208F)ありがとうございました。

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