名列車列伝特集 09-6「山陰本線を名路線に成長させた名特急! 06」

(N)さて、昨日は奈良交通100周年のフェスタの旅で1日ずれてしまいました。申し訳ございません。
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(Kt1641F)そういえば、ソフトトークを使って何かやると聞きましたが…。
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(Hs1208F)気になるのですが、私たちの声を…?
(N)いえいえ、そうではないのですが、アナウンスに使用しようかと検討しております。それで、各種アナウンスを作ろうかと考えています。では、2本目は「名列車列伝特集」の「まつかぜ」編をお届けします。さて、前回の記事からのお話ですが…。正直に言いますと、特急「まつかぜ」が2往復体制に変更されて、特急列車として、山陰本線と福知山線を経由した特急列車として、再出発されていきました。
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(Kt1641F)そして、昭和50年のダイヤ改正を迎えます。そして、山陽山陰を連絡する陰陽連絡特急「やくも」に加えて、3年の冷却期間を経て、「おき」が復活します。ということで、本日の話題の「山陰本線を名路線に成長させた名特急」の第6回をお届けします。では、キハ82型さんと、キハ181型さんよろしくお願いします。
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(キハ82型)さて、昭和50年に入るまでのお話をサラッとお話します。昭和47年のダイヤ改正以後で、近畿圏の山陰本線系統の北近畿に向かう交通地図が塗り替えられることになりました。どうしてなのかと言いますと、北近畿地方の交通地図自体が変わりました。まず、京都駅から直接山陰本線を結ぶ特急ができたことが大きかった事があります。
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(キハ181型)実は、私も実感したのですが、京都駅の「あさしお」号は、新幹線で東京駅方面に連絡できるドル特急ですし、天橋立観光と、城崎温泉に向かう需要が増えてきていたのです。確かに、私が「やくも」を担当した時も、同じことが見えてきました。実際に、新幹線と連絡させるということを昔からやっていた近鉄さんならわかると思いますが、昭和40年以降に、同じことを考えていたと思いますが、近鉄特急も、同じ考え方で特急ネットワークを構成していき、今のフリークエント輸送を実現させていたと聞いたことがあります。同じ会社ですから、そのネットワークは全国に拡大できるようになっていたのです。
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(Kt1641F)ということで、確かに、私が、先輩から聞いた話では、私の大先輩にあたる680系さんがその基礎を築いてくださったのですが、そのころの話をしていくと、12200系先輩からの受け売りですから…。
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(キハ82型)まあ、それはその通りですね。12200系さんには、私が早く去った事から、さみしくなっているかもしれませんね。それに、私よりも12年だから、君ももうそろそろ、引退に近づいている状態だと聞いておりますよね。
イメージ 4(キハ181型)そうだといっても、私も特急列車の端くれとして、一緒に走ってきましたが、やはりそれができない状況ですよね。
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(Hs1208F)そういうことだったのですね。
イメージ 3(キハ82型)そいういことです。ということで、時間がかかりましたが、そうなることなります。昭和50年のダイヤでどう変わったのか、それについては、次回に進めます。
(N)そうしますか、では、次回に昭和50年ダイヤについて、お話していきます。それでは。