名列車列伝特集 09-7「山陰本線を名路線に成長させた名特急! 07」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「まつかぜ」編の第7回ですが、昨週の記事で誤りがあったことをお詫びします。申し訳ございませんでした。
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(Kt1641F)さて、昭和50年のダイヤ改正に入るのですよね。
(N)ええ、そうです。今回の話は、その昭和50年のダイヤ改正です。
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(Kt1641F)東海道・山陽新幹線が、全通を果たした昭和50年、山陽本線を走っていた特急列車は姿を消した改正でした。さて、「まつかぜ」たちが、どうなっていったのでしょうか? 本日はそれについてお話します。
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(Hs1208F)ということで、「山陰本線を名路線に成長させた名特急! 」第7回開幕です。それでは、キハ82型さん、キハ181型さんとゲストがいるのですよね。ナレーターさん。
(N)ええ、キハ187型さんです。ということで話を始めます。
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(キハ82型)さて、昭和50年に入って、東海道山陽新幹線が開業した年ですが、実は東海道山陽新幹線沿線の特急が大きく変わることになりました。昭和47年に登場した「やくも」が増発されただけでなく、同年代に登場した「はまかぜ」の1往復が鳥取駅への延伸を果たし、「あさしお」の1往復が米子駅に延伸しました。実は、同じ区間の急行「白兎」号を格上げしたようなものになりました。
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(キハ181型)で、陰陽連絡特急の第3弾として登場してきたのが、「おき」ですが、実は、特急列車として名乗るのが、2代目となります。実は、当時は私が担当していたわけではなく、キハ82型さんが担当しておりました。
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(キハ187型)私も、181型先輩から聞いたお話では、「おき」というのは、ユニークな経路を持っていた列車で、初の山口線に走ることになった特急列車だったとされております。実は、唯一なのですが、山口県の県都山口駅を通って、山陰方面の列車は特急、初となるみたいですね。
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(キハ82型)しかし、「おき」の初代を私が担当したのが、まさかの2回目、特急でも「おき」を担当することになったのですが、82系気動車は5両編成でしか走ることができないという状態が出てきたのです。実は、山口線があまり利用客が多くない路線であることから数年だけで、キハ181型さんたちに譲ることになりました。
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(キハ181型)実は、181系でも3両ユニットでも、動くことができるからで、受け入れ当初は、5両編成を主力として運転しておりました。その時から、5両ではなく、3両も視野に入れていた格好です。
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(キハ82型)まさに、こうなっていった格好でですが、国鉄特急列車の新しい形を模索していた時ですが、実際昭和50年代の時期というのが、国鉄での列車の利用率低下した時期ですから、それにしても、実は、この改正以後、「やくも」がL特急になったのには、驚きました。
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(Kt1641F)どういう事ですか? もしかして、「ひだ」の前に登場した「やくも」がL特急を名乗った列車が、列車がいたというわけですね。
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(Hs1208F)面白い話ですね。まさか「やくも」は途中で、エル特急を名乗っていたというのは、知りませんでした。
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(キハ187型)もしかして、381系電車で運転されている「やくも」の変貌を遂げたのは、昭和50年以降ということですか?
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(キハ82型)その通りです。これ以後、陰陽特急は、西側から「おき」、L「やくも」、「はまかぜ」、「まつかぜ」、「あさしお」というネットワークがつくられ、それが、昭和63年のダイヤ改正まで、続くことになります。その間に、「まつかぜ」の系統分割が行われるようになる、昭和60年ダイヤ改正までは、博多駅行きと鳥取駅駅方面が走っているのが、普通だったのです。
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(Kt1641F)そうだったのですね。私も、このシリーズで幾度とみてきたのですが、新幹線のおかげで笑った方と、泣いた方がいるということですね。
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(キハ82型)その通りです。それが世の常ですから。ということで、「まつかぜ」編の中で、忘れ去れていたのですが、山陰本線急行のお話をしていきます。ということで、第8回をお楽しみください。
(N)ということで、次回をお楽しみに。