名列車列伝特集 09-8「山陰本線を名路線に成長させた名特急! 08」

(N)本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「まつかぜ」編の第8回ですが、今回は、いったん「まつかぜ」とともに活躍した列車たちのお話をしていきます。
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(Kt1641F)えっ! どういうことですか?
(N)実は、今の「スーパーまつかぜ」と「まつかぜ」本体は、まったくの別物で、急行列車から出発していったものがあるからなのです。実は、昭和50年代以降からなのです。
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(Hs1208F)では、その話を始めましょうか。ということで、「山陰本線を名路線に成長させた名特急!」の第8回です。では、キハ82型さん、キハ181型さん、キハ187型さん。よろしくお願いします。
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(キハ82型)実は、私が担当していた「まつかぜ」と、現在187系気動車が担当していた「スーパーまつかぜ」は全くの別物で、今回は、そのお話をしていきます。さて、昭和50年のダイヤ改正を経て、特急「おき」が誕生したのはいいのですが、中国地方では、まだまだ急行列車が活躍していて、山陽地方から山陰地方に運転されている急行も多くありました。ただ、山陰地方の都市間を結ぶ列車は、割合整理されていきました。その代表格が急行「さんべ」です。この「さんべ」は、最長列車が鳥取駅を出て小倉駅に至るルートですが、このルートの内、鳥取駅及び、米子駅から益田駅の区間を、現在の「スーパーまつかぜ」が担っているという塩梅になっております。また、同様の列車が、存在するのですが、それは、キハ181型さんに、お願いします。
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(キハ181型)実は、この昭和50年改正で、「おき」を補完する役についた急行が、新たに設定されております。それが、沿線にある森鴎外の出生地、津和野にちなんだ「つわの」号です。この列車は、「しんじ」号の系統分割によって誕生した列車で、この列車が、益田駅までを担当し、そのあいだの区間は、「石見」と「ながと」号が担当しております。皆様は、「二つの列車があるから、すっきりしていないでしょう?」と疑問を持つかもしれませんが、これにははっきりとした理由があります。その理由は2つです。一つは、運転区間がそもそも異なっていたことです。「石見」号は、鳥取県の鳥取市から、島根県益田市までですが、「ながと」号は、山口県の長門市に向かっていたということが背景にあります。それ以外にも京都府福知山市から、島根県の出雲市を結ぶ「美保」という急行も存在しておりました。実は、意外にも、こういった列車たちが、今の山陰本線特急網を形成しているといわれております。
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(キハ187型)確かに、私が、現在担当している列車の多くは、元急行から、格上げされてきた列車が多いです。例えば、特急「スーパーいなば」という列車も、元は、岡山駅と鳥取駅を結ぶ、急行「砂丘」を発展させた列車ですし、もともとから特急だった列車を引き継いだのは、私が記憶しているものでいうと、「おき」さんだけです。
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(Kt1641F)そういうことだとすると、特急「まつかぜ」がいかに特別な存在だったのか、それがわかってきますね。
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(キハ82型)その通りです。特急「まつかぜ」は、これらの列車の需要を掘り起こす原動力にもなっていたのです。その後、昭和53年のダイヤ改正で「まつかぜ」は、山口県の豊浦町にある川棚温泉駅を停車駅に追加して、走るように改められ、それが昭和60年のダイヤ改正まで続くのです。
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(キハ181型)しかし、昭和55年のダイヤ改正以後、補完する急行を特急に格上げする改正が行われることとなり、その一つとして、「つわの」号は5年の歴史に幕を閉じます。
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(Hs1208F)しかし考えてみると、急行列車が特急列車に格上げされていくと同時に、夜行急行も廃止されるという運命となったと聞いたことがありますが…。
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(キハ82型)ええ、それは「さんべ」の夜行便を上げていると思いますが、その通りです。まさに、この前後の時代に、高速バス路線網の需要が高まってきたこともあって、夜行列車の対応の遅れが目立つ事態となってきました。それが影響していると思います。
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(キハ181型)それと同時に、電化区間の延長が新たな変動を生み出すことになります。それが、昭和57年6月ダイヤ改正となるわけです。続いては、381系電車より代表で、クハ381型サンに加わってもらい、激変の序章となった昭和57年6月改正についてお話いたします。
(N)ということで、次回をお楽しみに。