名列車列伝特集 09-9「山陰本線を名路線に成長させた名特急! 09」

(N)さて、本日の名列車列伝特集ですが、昭和55年以降のダイヤ改正に、話が飛んできます。とくに有名なのが、昭和57年のダイヤに注目します。
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(Kt1641F)実は、その話でゲストを呼んでいるのですよね。で、本人が話していたのですが、「くろしお」よりも早く登場できるとはと、喜んでおりましたよ。
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(Hs1208F)気になっておりますね。どうなっていくのでしょうか…。ということで、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」より、「山陰本線を名路線に成長させた名特急」の第9回です。では、キハ82型さん、キハ181型さん。キハ187型さん。さらに今回のゲストさん。よろしくお願いします。
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(キハ82型)さて、今回のお話ですが、昭和57年のダイヤ改正ですが、その前に、以前までのおさらいをしておきます。実際に昭和36年に誕生した「まつかぜ」、さらに「まつかぜ」を支える「やくも」が昭和40年に誕生し、その6年後には、「おき」が誕生して、新幹線の延伸に備えました。その後、岡山駅への延伸開業で、「おき」は、新大阪駅と、岡山駅の間を省いた形で、「やくも」として、そこに登場したのが、「あさしお」、「はまかぜ」が誕生。昭和50年に「おき」が復活。結果的に、西側の山口県下から、岡山県下と兵庫県と大阪・京都府が走るようになりました。今回は岡山駅始発の「やくも」に異変が起きるのです。そこをキハ181型さんよろしく。
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(キハ181型)実は、私の運用が、完全に北側に移ることを意味した改正でもあったのですが、実は、昭和55年以降で、初の電化区間となったのが伯備本線の全線と、伯耆大山駅と、西出雲駅までの区間です。その区間を完全電化したのはわけがあります。実は短絡線として整備されていくのが、昭和47年以降になるわけですが、全線電化に合わせて複線化も行われていたのです。実は、その電化後に投入されたのが、381系電車でした。今回のゲストでもあります。
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(キハ187型)私は、いつも岡山駅で見かけておりますが、381系電車が、どうして登場したのかの理由が、分かりませんでした。また、私たちの大本となった振り子機能を搭載した列車でもありますよね。
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(クハ381型)キハ187型さん。いつもお世話になっております。それで、近鉄1641Fさんこんにちわ。それと、阪神1208Fさんは、西九条駅でお見掛けしておりました。
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(Hs1208F)「くろしお」さんの時代の仲間を見ていたのですね。
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(クハ381型)しかし、「くろしお」から撤退したので、私が今運用で、残っているのが「やくも」です。さて、時間も押しているので、今回の話を始めます。381系電車が特急車両として登場したのは、「やくも」で3例目です。最初の例が、昭和48年の中央西線の「しなの」でした。ただ、どうしてもキハ181系先輩で克服できなかったのが、曲線区間の多発する山岳路線伯備線の克服でした。実は、この3列車に私が投入された共通点が、この曲線の多発地帯をいかに克服するのかだったわけです。
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(キハ187型)それだからこそ、陰陽連絡路線に向いていたのですね。
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(クハ381型)その通りです。だから、振り子機能を有していた私が選ばれたわけです。それで、この関係で「やくも」の運転区間が固定され、出雲市より西側にいく事が出来なくなってしまいました。実は電化できた区間が、出雲市までだったことが大きく響いたのです。実は国鉄は、この年の7月に、「国鉄解体」に向けての中間報告をまとめておりました。東北・上越新幹線の開業などのプロジェクトも抱えていて、なかなか山陰本線の電化ができなかったことが背景にありました。
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(キハ181型)実はその「西側」となった区間を受け持ったのが、私が担当していた「おき」ですが、増発もしないまま3往復の状態で推移します。その後、山陰本線の都市間特急列車が登場してくるのは、平成に入ってからなのですが、それはまだあとの話です。
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(クハ381型)それはそうと、先輩の運用が無くなったのではなく、東側の「あさしお」で大活躍を遂げていきます。
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(キハ181型)結果的に、14年間も活躍できたのは、本当に幸運だったといえます。
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(キハ82型)実は、この改正以降、電車特急となった「やくも」は、急行「伯耆」を吸収して、往復数を8に増やすことになりました。このため、玉突きで82系気動車の活躍は徐々に狭められていくことになります。そして、82系気動車の状況が悪くなっていく中で、「はまかぜ」と、「あさしお」が181系化を達成すると、さらに状況は悪くなってきており、82系気動車は、東海地域を走っている2列車(「ひだ」、「南紀」)と、北海道で運用されていた「北斗」などを含めた列車しかなくなってしまう状況となったのです。
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(キハ181型)そのため、先輩は数多くの努力をしてきたのですが、結果的に年には勝てぬ状態となってきたのも事実でした。そして、昭和60年のダイヤ改正へと向かいますが、その間の「はまかぜ」などの大阪口の急行列車たちはどうなっていたのか、次回第10回は、そのお話をしていこうと思います。そういうわけで、次回をお楽しみに。それでは。
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(Kt1641F)ということで、次回をお楽しみにしていてくださいね。