名列車列伝特集 10-2「首都圏と甲信越を結んだスプリンターたち」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」からです。「首都圏と甲信越を結んだスプリンターたち」の第2回です。
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(Kt1641F)さて、第1回は、とんでもない、早回しでしたが。今回からは、特急「とき」のお話を詳しくしていきます。
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(Hs1208F)それで、詳しく話をしていきますが、今回も登場していただくのは、特急「とき」の紹介をしていただく、157系のクモハ157型さんと、189系のクハ189型さんと、「佐渡」で登場していただきます165系クモハ165型さんです。よろしくお願いします。
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(クモハ157型)さて、お話を始めます。首都圏と越後方面の列車の急行が設定されてから、21年が経った昭和27年まで、いったん戻ります。実は、昭和30年代でナレーターさんが紹介した「越路」が、上越線のネームドトレインの始まりでしたが、実は、それよりも前に、昭和25年に登場した「北陸」がネームドトレインの始まりでした。実際には、上野駅と金沢駅を経て、大阪駅に向かっていた急行でしたから、上越線の項目に入っていなかったのですが、訂正させていただきます。
(N)申し訳ございませんでしたm(_ _)m。
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(クハ189型)さて、新潟とを結ぶ急行に変化が起き始めるのは、昭和33年の「奥根利」号の設定からです。実は、初めて80系電車で運転されたことが、流れを変えるきっかけになっていました。そして、信州方面を走る列車では、準急が上野駅と直江津駅に昭和23年に復活し、それがのち「高原」という名前が付き、その直後、急行列車として、「白山」として、登場することになります。
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(クモハ157型)これが、のちの信越本線北陸方面特急「白山」につながる系譜です。上越線急行の「越路」と、「佐渡」が誕生後、どうなっていったのかですが、急行車両の電車化が行われたのが、昭和33年ですが、全線を結ぶ急行の電車化が行われるのは、なんと「とき」誕生と同時だったのです。
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(Kt1641F)えっ! どうして、そういうことになったのです?
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(クモハ165型)実は、この80系電車の走行が実現したのは、高崎線の電化が進んだというのが大きく、また、上越線は早くから電化が進んでいたことが、大きく関係しておりました。ところが、信越線の電化が思った以上に進んでいなかった上、中央本線すら電化が進んでいない状態でした。
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(Hs1208F)それで、客車列車だったわけですね。
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(クハ189型)その通りです。
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(キハ57型)それと、飛び入りで参戦するのですが、急行「信州」などの運用を持っていたキハ57型と申しますが、実は、気動車急行が信越方面と首都圏を結んだ列車にはいまして、それを一手になったのがキハ57型でした。また、中央東線でも、急行列車に気動車が使用されるようになっていて、そこでは58系気動車が活躍していました。
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(クモハ165型)しかし、この話の中では、以外と思われるかもしれませんが、実は、気動車の急行が走っていました。
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(Kt1641F)そういうことだったのですね。
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(クハ189型)ところが、それだけではなく、客車の急行列車「佐渡」と「越路」が、電車急行化へと流れるのは、特急「とき」登場と同時となる昭和37年、そして、同時に電化が進むのが信越本線と、中央東線の2か所でした。次回は、中央東線にスポットを当てて、お話をしていきます。ということで、次回をお楽しみに。それでは。

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