名列車列伝特集 10-4「首都圏と甲信越を結んだスプリンターたち」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」から「とき」を含めた「首都圏と甲信越を結んだスプリンター」たちの物語の4回に当たります。
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(Kt1641F)ということで、本日から「とき」の誕生となった昭和37年に向かいます。
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(Hs1208F)では、157系のクモハ157型さんと、165系電車のクモハ165型さん、189系電車からクハ189型さん、よろしくお願いします。
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(クモハ157型)さて、昭和36年のダイヤ改正では、大阪から信越本線経由で、上野駅方面に「白鳥」が、入線したのですが、上越線は急行列車の運転しかできない状態でした。どうしてなのかといいますと、信越本線の電化がまだだったことが影響しております。
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(クハ189型)実は、長岡駅から新潟駅の区間です。この区間の電化が遅れていたのです。そのため、その電化区間の完成を待つ必要があったのです。そのうえ、新潟県の主要都市は、新潟市を含めると昭和30年代でも数えるほどしかない状況から、建設するのが危ぶまれていた状態でした。
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(クモハ165型)結局ですが、それから1年2か月後の昭和37年5月20日に電化が完成したこともあって、電車運転による長岡から新潟駅までの間の区間を走る列車が拡大されます。そして、昭和37年6月ダイヤ改正で特急「とき」が誕生します。当時は、151系電車が東海道本線で活躍しておりましたが、山間部を走る「とき」に、東海道本線で要求される豪華さを求めていたわけではなく、実用性を発揮できる車両が求められておりました。
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(Kt1641F)あの、それはどういうことですか?
イメージ 7(クモハ157型)それは、山岳路線にも対応できる車両の開発でした。実は、そこにいる165系電車も、ある程度の勾配区間に対応できるように設計されており、その前に登場した153系電車は、東海道本線を想定した平坦路線の高速化を主眼に置いた車両として製造されたため、この区間に対応するには、役不足になる可能性も排除できませんでした。ちなみにですが、153系電車を使用した準急は、昭和37年6月ダイヤ改正から少し経った昭和38年の小規模地域改正で、上野駅発着で長岡駅に向かう準急「ゆきぐに」号で実験的に行われていたのですが、平坦路線対応できる車両に無理をさせたというのが、本当のところだったわけです。
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(Kt1641F)そうでしたか…、初めから165系電車を投入するよりも、課題を洗い出すことに力を入れたのですね。
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(クモハ157型)その通りです。実は、151系電車を使用した車両の試験は、昭和36年に行われており、電気の負荷をかける区間が多い上越線に対応するには、どうしたら良いのかと言うヒントを与えてくれたわけです。その答えこそが、161系電車でした。そして、その急行版こそが165系電車で、モーター出力を上げたことで、ある程度の勾配区間にも耐え、時間短縮を行える体制が整ったということになります。
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(クモハ165型)尚、昭和37年6月ダイヤ改正で東京上野駅と新潟駅を結ぶ特急「とき」の所要時間は、4時間40分となっておりました。これが最終的には、3時間52分と48分もの時間短縮を成し遂げております。当時は、これでも早い方だったということになります。そして、上越線特急が登場したことから、便利になったのかといいましても、そうではなく雪害との戦いが、彼らには待ち受けておりました。
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(クモハ157型)それもそのはずで、新潟県内の雪害が、昭和38年1月にさっそく雪害で停止させられる事態が、早速発生していしまします。
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(Hs1208F)なんということを!
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(クモハ165型)それだからこそ、この問題は根深いといえます。
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(クハ189型)それが解決されるのは、昭和57年の上越新幹線の開通まで待つ必要があります。ところが、それに匹敵する問題を抱えていた路線が存在していたのです。それが、なんと碓氷峠を抱えていた信越本線です。
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(クモハ165型)そういうことで、次回記事は、信越本線の隠れた問題についてお話します。それでは次回をお楽しみに。