名列車列伝特集 10-14「首都圏と甲信越を結んだスプリンターたち」

(N)本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「とき」編を第14回をお届けします。さて、今回のお話ですが、「とき」、「あさま」と来ましたが、「あずさ」の話へと向かいます。
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(Kt1641F)それでは、「首都圏と甲信越を結んだスプリンター」の第14回ですが、今回は、「あずさ」編の昭和50年代をお話します。では、189系のクハ189型さん、165系電車からクモハ165型さん、よろしくお願いします。
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(Hs1208F)よろしくお願いします。
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(クハ189型)昭和50年になってですが、「あずさ」を補完していた急行列車が、「アルプス」に統一されましたが、昭和48年から食堂車両の使用の停止が決定し、さらに「アルプス」の大糸線走破系統と、小海線乗入系統が廃止されておりました。実は、昭和48年の食堂車両の使用停止というのは、東京駅と上野駅を結ぶ新幹線路線建設工事による回送路線使用停止に伴って、運転区が移管されたことによるもので、「あずさ」と「あさま」の共用化ははかられませんでしたが、昭和50年12月から、189系電車の使用が開始されことから、「あさま」と共通運用となっていきました。
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(クモハ165型)実は、この昭和50年は国鉄自体でターニングポイントとなった年でもあり、全国的な流れで言いますと、「スト権スト」と呼ばれる事態が起きたのも、この昭和50年でしたし、その点については、ナレーターさんも『新シリーズ 平和と戦争の間で揺れた日本 08-6&7 「アメリカ合衆国の協調と憲法で揺れた時代」』の中でも詳しく述べておりますが、この事件が中央線などにも影響を及ぼしました。
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(クハ189型)実際に、全国的に急行列車の特急化が行われるようになっており、その影響は、「あさま」と「アルプス」の走る中央東線にも及んでいました。私が任務に就いた翌年となる、昭和51年11月30日に、「アルプス」のシンボルといえるビュッフェ車両の使用が停止に追い込まれ、特急列車のスピードアップは盛んになっていきます。そのため、急行列車の役目が薄らいでいく事になるのは必然のことで、急行列車の消滅を意味していました。
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(Kt1641F)それほど、ターニングポイントの年だったのですね。
(N)その通りで、この年と前後して、大手私鉄は攻勢を仕掛けていきます。そのトップバッターとなったのが、近鉄で昭和50年以降、車両のグレードアップを行い、需要の少ない名阪甲特急を復活させたのは、それから5年後の話ですが、その話にもつながってきます。ただ、遠方に向かう列車の多くが影響を受けたのに比べれば、中近距離の特急列車にとっては、影響はそれほどでもなかったともいわれており、「あずさ」にとっては、飛躍のチャンスともいえる年代ともなりました。
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(クハ165型)その後、昭和50年代の中期に、「とき」とその仲間にとって、大きな異変が起きたのは、昭和53年以降ですが、相棒だった「いなほ」が1往復増発され、さらに本体でも1往復増発、「あさま」系統では、相棒となっていた「白山」のL特急化が行われ、線路容量の限界が近づいてきたことから、待望の新幹線の建設が待たれておりました。それについては、時間を少し戻して「上越新幹線」の開通との関係で取り上げる予定としております。
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(Hs1208F)その後についてはどうなるのでしょうか?
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(クハ189型)次回のお話は、「上越新幹線」開通前夜の裏話について、「歴史もの
」と連動させて、お話を続けていきます。次回をお楽しみに。
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(Kt1641F)エンドコールありがとうございました。