名列車列伝特集 10-18「首都圏と甲信越を結んだスプリンターたち」

(N)皆様、新年あけましておめでとうございます。本年も、「名列車列伝特集」をご贔屓に頂きますよう。どうか、よろしくお願いしますm(_ _)m。
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(Kt1641F)新年は深夜運転で、あちこち体が痛む1620系1641編成です。今後とも、近鉄をご贔屓に、利用いただきますよう、よろしくお願いしますm(_ _)m。
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(Hs1208F)新年となりまして、私も深夜運転に駆り出されておりました。1000系1208編成です。今後とも阪神電鉄をよろしくお願いしますm(_ _)m。
(N)ということで、新年最初の「名列車列伝特集」は、「とき」編の続きですが、前回となる第17回で、「とき」の新幹線化が決定し、昭和57年の新幹線の開通後、「あさま」と「あずさ」が在来線の特急として、存続していく事になります。
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(Kt1641F)で、「首都圏と甲信越を結んだスプリンター」の第18回です。では、その話をしていきましょう。それでは、189系よりクハ189型さん。165系電車からクモハ165型さん。よろしくお願いします。
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(クハ189型)新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。では、昭和57年までの話ですが、「あずさ」が運転されている中央本線は、前から話をしておりましたが、中央西線と中央東線に分かれています。中央東線が「あずさ」が活躍しておりますが、この後大きな出来事が起きようとしておりました。ということで、電車急行の「アルプス」に中央本線系統が統一され、181系電車の189系電車への統一で、特急「あずさ」で使用される列車が、新型車両に置き換わることになります。実は、「あさま」と「あずさ」は共通運用化されるのは、このころからとされております。
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(クモハ165型)皆様、新年あけましておめでとうございます。実際に、12両編成か9両編成で運転できるのが、183系電車と189系電車の大きな特徴ですし、グリーン車両と先頭車両以外は、MM’ユニットで運転できるのが特徴でしたから、そんなに影響はなかったとみていいのかもしれません。しかし、昭和50年代初めは、そんなに動きがなかったといっていいのかもしれません。そして、昭和50年代後半に至ると、「あずさ」の時間短縮が図られる事態が起きるのですが、その間に、変動が大きかったのは、急行「アルプス」です。実は、急行車両の代名詞だった「ビュッフェ」が営業停止という事態に陥りました。実は、この昭和50年代以降、食堂車の営業が制限される事態が発生していきます。それだけではなく、航空業界だけではなく、多くの高速道路が建設された関係で、乗用車での移動も増えたことも重なり、利用客が減ることになりました。そのため、需要のない食堂系統サービスをそぎ落とす措置に踏み切りました。それは、特急列車の食堂車の連結解除に踏み切ったことも、これらが関係しています。
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(Kt1641F)それは、ほかの列車でもお話になされていたことですが、やはり中距離特急から、その話は始まったのでしょうか?
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(クハ189型)実は昭和47年以降から、食堂車休止されていたのは、ご存知のはずですし、実は、後々に取り上げる列車でも、この壁にぶち当たっていますし、全国的な問題として、多くの列車が直面していきます。実は、信州も例外ではなかったのです。さらに言うと、この昭和50年のダイヤ改正で、大糸線を走破していた「アルプス」が電化区間の南小谷駅まで短縮される悲劇も起きております。実際に電化されていない区間は、需要がないという理由で、廃止されたという例は多く、昭和50年代に転機を迎えた特急列車の多くは、需要のない区間を運転していた列車ばかりでした。
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(Hs1208F)ということは、このころに、新幹線と特急が主役となる列車体型が、出来上がったということですか?
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(クハ189型)いえ、それが出来上がるのは、昭和60年以降で平成に入ってからです。実際に、平成元年以降は特急だけの路線が多くなりますが、今度は、新幹線にシフトしていく形が出てきます。そして、急行で使用される車両も、特急車両が使用されるようになります。
(N)そして、時間短縮が行われるようになっていくのですが、それが、できないということになると、新幹線を欲するようになるという…。どこの場所でも同じみたいな感じですね。
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(クハ189型)そうです。しかし、以外にも、中央東線では、そういった状況はないのですが、困ったことに、中央東線にネック横たわっておりました。それが、諏訪湖の付近を南下して行くルートにありました。これは、上諏訪駅から塩尻駅までの間の区間で、この区間を、迂回できるルートが必要となっておりました。そして、この区間の改良と、ルートの新設が行われていくことになりました。
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(Kt1641F)ということは、迂回ルートが出来上がるということですか?
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(クモハ165型)その通りで、その路線が昭和58年に完成していくのです。ただ、それはまだ先のお話です。この後は、昭和50年代後半に「とき」編の本体は、新幹線への路線転換を開始、そして昭和60年ダイヤ改正を経て、上越線と信越本線は、新幹線への道を歩み始め、中央本線東線は、運転本数どころか、運転区間を広げる大活躍を見せます。次回は、「新幹線化」の「とき」と、「たにがわ」の源流となった「谷川」の誕生に迫ります。それでは、次回をお楽しみに。