名列車列伝特集 10-20「首都圏と甲信越を結んだスプリンターたち」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」から「首都圏と甲信越を結んだスプリンター」の第20回を、お送りします。 
イメージ 1(Kt1641F)さて、今回は「あさま」のお話がメインです。
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(Hs1208F)確か、「あさま」とその周辺のお話です。では、クハ189型さんのほか、皆様、よろしくお願いします。
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(クハ189型)さて、本日は急行「信州」と「妙高」のお話をしていきます。実際に「あさま」を担当していた私も、急行列車列車からの格上げとともに、運転本数が増えていきます。急行「志賀」が廃止される形になりました。どうしてなのかといいますと、「あさま」に吸収される形になりました。実際に、高崎線の特急系統は整理されることになりました。その第一弾となっていくのが、昭和60年のダイヤ改正です。これによって、急行「信州」が全廃となり、急行「妙高」が夜行列車を残して廃止となったのです。
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(クモハ165型)どうしてこうなったのかといいますと、高速道路の発達によるものが大きく、それによって、各私鉄が高速バスを運行し始める時代と重なってきます。その後、急行列車を特急列車と同じ車両にするため、189系電車に置き換えられ、169系電車は、快速列車として運転されていくようになります。
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(Kt1641F)あの…その動きは、「あずさ」でも行われていくのですか?
イメージ 2(クハ189型)その通りで、165系電車の活躍の場が奪われていきます。実際に、「アルプス」も夜行急行を残し、全列車が「あずさ」に格上げされました。だからといって、高速バスに対抗できず手をこまねいていたわけではなかったのです。そのきっかけは、次回の記事で詳しくお話します。
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(EF63型)さて、その他にも信越本線系統では、特急「白山」すら長距離のため、合理化の対象となり、1往復を削減される結果となりました。これは、東京対北陸間特急の大整理の開始でもあり、もっと言うと、「北陸新幹線」の建設に関しての号砲を打ったことにもつながりました。
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(クハ189型)また、昭和59年から昭和62年にかけての「ジョイフルトレイン」ブームに乗って、登場していた「そよかぜ」号に、「サロンエクスプレス」の14系が使用された「サロンエクスプレスそよかぜ」が運行されておりました。これは、信越本線系統では、最初で最後の客車特急で、その後、そういう列車の運転は手控えられることになります。
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(Hs1208F)実際に北陸方面に直通列車はいたのでしょうか?
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(クモハ165型)実は、「とき」の相棒として急行「佐渡」、「あさま」には「信州」、「あずさ」には「アルプス」というように、「白山」には「越前」が相棒として、「はくたか」及び「北陸」には「能登」が担当していた時代がありました。昭和57年の上越新幹線の開業以降は、「能登」の経路を信越本線に変更して、「白山」と組ませることになり、その「能登」が運転していた区間は、「北陸」が担当することで、解決することになったわけですが、急行列車の衰退は避けようのないところまで来ていました。
イメージ 5(EF63型)確かに、寝台特急ですら衰退しかけていたことを考えれば、なおさらですし、長距離特急とて、他人ごとではない事態ですから、彼らがいかに苦労していたのかがよくわかります。
イメージ 3(クモハ165型)実際に、急行「能登」は私たちの予想をはるかに超えて、平成20年まで定期列車として運航しておりましたが、臨時列車化ののちは、廃止同然の状態となっております。
イメージ 1(Kt1641F)一方の「あさま」は?
イメージ 2(クハ189型)実は、昭和60年ダイヤ改正で15往復の大所帯となっておりましたが、まだまだ増える可能性が残っておりました。それについては、平成に入ってからですので、この次のお話で、ということになります。次回は、昭和50年代後半の「あずさ」と新ルートの完成についてお話します。次回をお楽しみに。
イメージ 1(Kt1641F)なるほど、次回が楽しみですね。エンドコールありがとうございました。それでは。