近鉄初詣タビは、伊勢へ「伊勢賑わい道中旅」 07

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」本編から「近鉄初詣タビ」の第7回をお届けします。では、その話を始めます。

さて、この間の画像はないのですが、別の画像を使用します。
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それで、近鉄特急がどうして、伊勢方面に行く列車が、どうして人気があるのかですが、実は、その答えが…。
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この答えが、この駅の存在が大きくかかわってきてます。実は、「東の旅」でも取り上げられるのが、明星という宿場町です。ここから、2駅先に、小俣駅という駅があります。
この場所から、宮町駅と小俣駅の間に、大きな橋がありますが、
ただ、宮町と小俣の間に、渡し船があったといわれております。実は、これは「お伊勢参り」の重要な道として使われておりました。
実際に、
Wikipedia「おかげ参り」のトップ画像から見ての通り、人手でごった返している有様だったことがよくわかります。ちなみに、出展元は、「歌川広重」の 天保年間を切り取った作品(理由は、手に持っている柄杓のこと)で、当時の大阪市内(正確には、大坂町【当時は、町は村より小さな行政区分単位だった】)からは徒歩で、5日で行けるということで、人気の観光スポットだったとのことです。
ちなみに、「おかげ参り」が記録で出てくるのが、江戸時代の初めとなる寛永13年、西暦では1638年、ぎりぎり3代将軍徳川家光の時代のころだといわれており、一番たくさんの参拝者数を記録したのが、60年後に当たる宝永2年となります。
ちなみに、西暦に直すと、1705年で5代将軍徳川綱吉【福祉将軍と考えることができる】の時代に当たりますが、なんと1日で23万人だったそうです。
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おそらく、こんな旅籠(旅館)に泊まった人たちがいたのかもしれません。ただ、それが今では、鉄道で1時間50分で、短縮されています。
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確かに、今での近鉄では、大阪の2駅と、名古屋駅と、京都駅から伊勢方面と志摩方面に向かう列車が、発着する姿が見られるようになったのが、昭和に入ってからです。

長くなったのですが、ここからは、どうなったのかといいますと、私たちを乗せた列車は、伊勢中川駅、松阪駅を過ぎて、
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そして、宇治山田駅に付きました。
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さて、この車両30000系ですが、実は、3度もリニューアルしたのですが、3度目は、コンパートメント化しておりましたのです。
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そして、2階建ての2階席ですが、こちらは、落ち着いた色合いです。
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宇治山田駅に到着しました。そこから、
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宇治山田駅を出て、外宮を目指して進みます。ちなみに、画像自体が、少し見え方が悪くなっておりますことをご了承ください。ということで、次回の記事は、日曜日になります。