名列車列伝特集 10-22「首都圏と甲信越を結んだスプリンターたち」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」から「とき」編の第22回ですが、今回の話ですが、「とき」新幹線化本体のお話ですが、新幹線関連に関しては、E2系さんがゲストになるのですが、もう一人出てきます。誰なのかはお楽しみに。
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(Kt1641F)誰なのかは、気になりますが。ということで、「首都圏と甲信越を結んだスプリンター」の第21回をお届けします。
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(Hs1208F)さて、ゲストのE2系さんは、第6段の「はつかり」編以来の登場ですよね。
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(E2)ええ、「はつかり」の時は、「はやぶさ」さんまで加わってくれて、いろいろと解説をしていったのですが、今回は私の本来の目的である「北陸新幹線」長野駅部分開業が大きくかかわってきますので、その点で、主役といえば主役ですね。
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ちなみになんですが、本日は、この幕を使います。
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(?)おいおい、私も忘れていませんか?
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(E2)あれれ? 先輩! どうしてここに来たのですか?
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(Tsc200)ナレーターさんからの要請を受けて、やってきたのよ。さて「とき」が新幹線化された関係ですが、実は、「とき」登場当初は花形列車ではなかったのですよ。
イメージ 9(Kt1641F)えっ、どういうことですか?
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(Hs1208F)私も初耳です。
(N)では、その含めてお願いします。
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(Tsc200)それでは、私から始めます。昭和57年11月15日に開通した上越新幹線ですが、当初の最速達列車は、「あさひ」という名前の列車でした。もともとこの列車は、仙台駅と新潟駅を結ぶ急行列車として、活躍しました。途中、新潟県から山形県を通って、宮城県に入る急行でした。この「あさひ」は、山形県と新潟県にまたがる朝日連峰が由来となっております。
イメージ 9(Kt1641F)実際に、「あさひ」は速達列車で運転されていたのですよね。で、停車駅は、どうなっていたのですか?
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(Tsc200)実は、停車駅が一定していない状態でした。ただ、「あさひ」が活躍したのが15年だけで、そのかんに各駅停車タイプの「とき」が消滅しました。ちなみに、当時の主要停車できる駅は、高崎駅と長岡駅ですが、それに越後湯沢駅と燕三条駅にも停車していた列車が多かったのです。
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(E2)今ではかなり複雑化しましたが、当初から、癖がある列車として有名だったのですね。
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(Tsc200)その通りで、それを担ったのも、私だったわけで…。とんでもないことになっていきます。ということで、私も「とき」として運用に加わったのですが、実は3年ほどは、大宮駅まででしか、運用できなかったのです。どうしてこうなったのか、それについては、ナレーターさんが詳しくなるのですよね。
(N)実は、当時の国鉄は、首都圏の中心部で東京都内に乗り入れようとしました。しかし、その間の用地買収がうまくいかなくなり、工事自体が遅れる結果と相成りました。そこで、国鉄上層部はなんとしても、この状況を打開しないといけない状態で、思わぬ秘策を打ち出していきます。それのため、わずか3年で東京の北玄関となる上野駅の開業を果たします。
イメージ 9(Kt1641F)その秘策って、何でしょうか?
(N)実は、新しい在来線を建設して、そこの上に新幹線を通すというものです。その関係でできたのが、初代「電車でGO」でも登場してくる埼京線です。つまり、埼京線が新幹線建設のカギを握っていたのです。さらに言うと、もともとは赤羽線という既定路線を活用した二重の意味での迷路線です。
イメージ 9(Kt1641F)えー! そんなことをしていたのですか?
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(Hs1208F)確かに、新幹線建設を優先させたために、このような荒業を仕掛けてきたのですね。
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(Tsc200)その通りで、私も3年後から上野駅へと走りました。そして、「とき」と「あさひ」の全列車が、上野駅に乗り入れていきます。実は、在来線特急にも変化が起きることになります。それが、今まで運転されていた特急「谷川」と「あかぎ」、そして、臨時特急「白根」の新たな特急列車として運転するという形にしたのです。それが、「新特急」という名称だったのです。
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(Hs1208F)その「新特急」という名称はどういう形だったのですか…。
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(クハ189型)えー、隅に追いやられた私が解説しますが、実は、当時の急行を、特急列車として運転する列車として、運用を開始していった関係で、当時の急行列車を基に運転を開始したのですから、停車駅は、急行「ゆけむり」、「あかぎ」、「草津」と同じ。また、今までの急行と同じ料金で乗ることができるという、利点を持っていたのです。
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(Hs1208F)それは、便利でお得だったということのつながりますよね。
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(Tsc200)その通りです。ちなみに、新特急という名称が廃止されたのは、それから17年後の平成14年のことで、その後、「谷川」は新幹線に、「あかぎ」と「草津」は、JR初期特急車両の651系の本格投入で、存続することになるという結果になっていきます。それはずいぶん先のお話です。
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(クハ651型)そういうことでして、私もそのために、列車運用を任されることになったわけです。
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(クハ185型)その前に、私も、おしゃべりをさせてくれますか、実は私も、私が運用に就いたのが、昭和60年ダイヤ改正からではなく、昭和55年からでした。そして、651系さんとともに運用に就いております。今では私も、運用原外れる可能性がありますが…。そんなことはどうでもよいとして、もう時間ですね。
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(クモハ165型)すいません。私がお呼びしたのですが、新幹線メインみたいですね。ちなみに、その間の急行は何とか3年間の余命宣告を与えられて、永らえたのですが、昭和60年ダイヤ改正で丸ごと消失する結果となり、165系電車で使用する首都圏急行は消滅という結果となりました。次回のお話は、「あさま」さんたちの国鉄末期の時代のお話をしていきます。それでは。次回のお話でお会いしましょう。それでは。