名列車列伝特集 10-26「首都圏と甲信越を結んだスプリンターたち」

(N)ということで、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」から「とき」編の第26回となります。では、本日は、「あさま」の90年代のお話です。
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(Kt1641F)それでは、90年代に入るのですが、新幹線化についてお話します。ということで、1208Fさんお願いします。
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(Hs1208F)ということで、「首都圏と甲信越を結んだスプリンター」の第26回です。では、みなさま、よろしくおねがいします。
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(EF63型)それでは、廃車されてしまった私から、平成年間に入り、最初で最後となる客車特急「サロンエクスプレスそよかぜ」号が廃止され、僚友であるEF62型の運用が減った後、私は、189系電車と489系電車で運用していた「あさま」と「白山」の推進運転運用で、頑張っておりました。実は、平成4年のダイヤ改正で、「あ
さま」の僚友である「白山」が1往復に削減されることになりました。ところが、その1往復が称号は特急とならず、L特急のままでした。その話は、クハ189型さんが詳しいです。
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(クハ189型)実は、「白山」は、実質上は「あさま」の系統を補助していた関係から、称号の変更は行われていなかったわけです。そして、廃止直前となる平成9年までに、どういう改正が行われたのか、時系列でお話していきます。まず、翌平成5年3月18日のダイヤ改正ですが、急行「妙高」と臨時急行「越前」が廃止されることになります。これは、新幹線の建設が大きく響いております。それゆえ、新幹線が建設されることも考えなければならないほど、路線の輸送力が供給に追い付かなくなってきたのです。
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(EF63型)また、私が勤務していた碓氷峠が大きく関係します。私は、特急「あさま」だけでなく、115系電車を使用する普通列車も担当していたのですが、かつては、貨物列車も運用に加わっておりましたから、輸送量が大変なことになっておりました。貨物列車運用の廃止に伴っていたのですが、旅客列車を運転する本数が多くなってしまい、輸送量自体が大きくなってしまう上、時間がかかってしまうことを考えてしまうと、新幹線化へと方向が変わったのです。
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(クモハ165型)だからこそ、特急「あさま」の新幹線化が決定した時に、碓氷峠区間がどうなるのか、気になっておりました。しかし、区間廃止となったとたん、私の仲間はどうなるのかと、気になっておりました。
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(Kt1641F)それって、どういうことですか?
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(クハ185型)実は、183系電車のグリーン車両を大改造して、補機を着けなくても碓氷峠を越せる車両を、完成させようと旧国鉄はもがいていたのです。ところが、それは完成できない状態となってしまったのです。実は、そのベースとなっていたのは、私だったわけです。
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(Hs1208F)そんなことを考えていたのですか?
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(クハ185型)それは、廃止直前に刊行された雑誌の特集記事での話ですが、廃止される平成9年から、20年前の昭和52年に計画段階まで進んでいたプロジェクトのことですが、特急「あさま」にそれを代用しようとしたのですが、結局、開発はできない状態となってしまいました。それは、皆さまもご存知のことですが、国鉄の民営化に進んでしまった巨額の借金を抱えたことです。
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(E2)そうだったのですね…。私も、新幹線として運用する前の話は聞いたことがありませんでしたが、今回のお話の前に、そんなことが起きていたのですね。
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(クハ189型)しかし、現実としては、新幹線に道を譲るしかなかったのは事実です。第一、今までの在来線では輸送力の限界が見えておりましたし…旅客列車及び、長距離列車の運転は、新幹線に任せることが第一となっていったわけですから、それともう一つ大きかったのは、「白鳥」編でお話したあの路線の開業も大きく、信州方面と北陸方面の連絡をある意味肩代わりしてくれたことです。それが、なんと復活した「はくたか」さんでした。
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(Kt1641F)それって、北越急行ほくほく線(07-13)のことですよね。
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(クハ189型)その通りです。実は中継地となる直江津駅で、連絡している列車が設定されることになりますが、それが平成9年の3月22日のこと、実は「あさま」は、最終運用となる平成9年の時点では、運航往復数は19で、これは直江津駅行き列車も含めての数です。そして、平成9年9月30日、私は役目を解かれることになり、翌月となる10月1日、碓氷峠とともに、私が活躍した場所は、中央東線に移ることになっていったのです。その代わり、新幹線化されることとなり、そこにE2系初期車が担当についたのです。
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(E2)実は、私の先輩も、碓氷峠を牽引した189系電車、EF63型電気機関車先輩の後を引き継ぎ、長野駅に向かう列車として運転を開始していけると、胸を張ったものです。ただ、彼はワンポイントリリーフとして、平成17年までの8年間しかいることができなかったわけです。結果的には、そうなるのですが…。ただ、E7系にとっては、そのステップは重要なものでした。ということで、次回第27回は、「あずさ」と「スーパーあずさ」の時代をお届けします。
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(Kt1641F)ということで、次回をお楽しみに。