近鉄初詣タビは、伊勢へ「伊勢賑わい道中旅」 19

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」本編から「近鉄初詣タビ」の第19回ですが、昨日の記事の振り替えとなっております。では、始めます。

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本当を言うと、「解説は、この前の記事で終了か?」と思われた方もいそうですが、今回も解説はあります。

さて、松阪と伊勢市と連続で続く、鳥羽市となります。実は、今回初なのですが、私は、鳥羽線にも乗ってきたわけです。それに関しては、ある博覧会が大きくかかわっております。それが、昭和45(1970)年開催の「大阪万博」です。
イメージ 2これは、現在の姿ですが、この当時のスター的な存在だったとされておりましたが、この車両の量産されていた時期こそ、高度経済成長期の末期に当たります。その中で、鳥羽線を開業させた理由を、近鉄首脳陣は「伊勢志摩を『第二の万博会場』に!」と考えていたようなのです。
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だとすると、伊勢志摩を第2の「万博会場」とした理由は、当時大阪府千里丘陵を舞台とした「大阪万博」は、大阪万博の会場は、千里ニュータウンから東側にあったため、その近くから大阪市内に行くこともできる。そこから、大阪市内を東に抜ける近鉄と接続できる。そのため、近鉄は、伊勢志摩に観光客を呼び込むため、大阪万博を利用したということになります。
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それは、在近畿圏の私鉄も同じことを考えていたと想像できます。ただ、規模が大きく違う近鉄では、奈良県内もPRできた可能性がありますが、実際に伊勢志摩をPRしたのは、伊勢神宮の大きかったといえるかもしれません。
また、近鉄特急ネットワークの構築に「大阪万博」が果たした役割は大きく、近鉄特急の中では3系統が対象となっております。一つは、大阪線を走行する阪伊特急及び、京伊特急です。そして、もう一つは、名伊特急ですが、こちらも影響があり、賢島駅及び、鳥羽駅を結ぶ路線として、伊勢観光を後押しするきっかけになりました。
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しかし、この翌年となる昭和46年10月25日午後3時に、大阪線を震撼させる大事故が起きます。それが、「総谷トンネル列車追突脱線事故」です。
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詳しい説明は、「18400系ラストラン! ―40年を駆け抜けたある車両の生涯― 07」が一番詳しく書いております。ほかにもWikipediaにも関連記事がありますので、そちらを検索してもよいかと思います。
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ということになりますが、松阪市を含めた地域は、そういった関係から伊勢神宮観光の中継点となるだけでなく、志摩観光の中継点となる役目も果たしていきます。
まあ、それは、近鉄及び、JR東海がしのぎを削っていく関係ともいえるもので、これによって、観光が発展していくという話でもあったようなのです。ということで、次回は、私も食べたかった駅弁のお話をお届けします。ということで、次回をお楽しみに。それでは。