名列車列伝特集 11-2「新幹線を支え、山陽路を支えた名特急! 02」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「しおじ」編の第2回です。実は、三度目の登場となるある特急が、山陽路の「しおじ」の源流となりますが、その列車とは、何だったのかそれが、今回のお話の大本となります。
イメージ 1
(Kt1641F)いったい誰でしょうか?
イメージ 2
(Hs1208F)どこで登場してくるのか気になりますね。ということで、「新幹線を支え、山陽路を支えた名特急」の第2回をお話します。
イメージ 3
(キハ82型)さて、実は、これを担当したのは私こと、82系気動車でした。しかも、名称は「へいわ」です。どうして、この名前だったのか、といいますと、大阪から広島間を走る特急列車が、この名前になったのかといいますと、この年の前年に電車化された特急「つばめ」が関係してきます。この特急「つばめ」ですが、その1年後の昭和37年に山陽本線の広島駅までの電化区間が完成するまでの臨時処置として、登場したのが「へいわ」という列車が設定されていたのです。
(N)実は、これで「へいわ」の登場は3度目になりますが、どうしても、運転期間が短いことでも知られておりますが、もう一つ、共通点があります。それが、終点となる駅が、後半の2回は、全て被爆地であること…。
イメージ 1
(Kt1641F)だから、「平和」という名称が、「暗い」というイメージになったわけですか!
(N)確かに、復興を行っている人々にとっては、「暗い」と、いうイメージがあったというのですが、やはり10年を経たこの時期としても、まだまだ、イメージは暗いといえるかもしれません。
イメージ 3
(キハ82型)ナレーターさんのおっしゃる意味は、ものすごくわかります。実際に、昭和20年の終戦から、まだ16年しかたっていない段階で、「平和」というのが尊いだけでなく、血生臭い戦いと結びついていたという記憶が、どうしても、短命に終わってしまったのかもしれませんね。
イメージ 2
(Hs1208F)ただ、私も「平和」は、「平和」の名前が「この形は特急として運転したのはいいのでしょうか?」ということですね。
イメージ 3
(キハ82型)これで、「しおじ」の運転の参考になっていきました。その後、昭和39年に山陽本線の全線電化が完成したのですが、この時点で、東京駅始発列車が、新大阪駅始発に変更されて、「つばめ」は、新大阪駅先発、博多駅を結ぶ列車として運転されていく事ができるわけですが、実は、このシステムが「しおじ」を誕生させたのです。
(N)ところが、昭和39年10月1日のダイヤ改正で、「しおじ」が誕生します。実は、この時のダイヤは、午後3時20分に新大阪駅を出て、8時間で走破、下関駅は、深夜に近い11時20分着となります。一方で登りは、朝の6時30分に下関駅先発となりますが、新大阪駅は、お昼を越えて午後2時35分着。つまり、折り返しは想定していないというわけです。
イメージ 3
(キハ82型)つまり、関西地区始発は最終となるわけですが、下関駅では、始発ですが。山陽本線内で運転する特急となるのですが、それ以外に特急として、京都駅発着の「かもめ」が結んでいて、下関駅のおおとりとなるわけです。
(N)確かに、誕生した「しおじ」は、東海道新幹線の連絡特急として、運転を開始しました。ということは、東京駅を出るのは、午後3時20分発ということで、20分から30分の乗り継ぎができるようになっておりますが、午後3時着の「ひかり」に到着するということになるわけですね。
イメージ 3
(キハ82型)その通りかもしれませんね。まあ、次回は、「しおじ」の運転区間の変更と、新列車の誕生のお話となる「しおかぜ」、それらもろもろのお話となる昭和40年ダイヤをお話します。それでは、次回をお楽しみに。