名列車列伝特集 11-4「新幹線を支え、山陽路を支えた名特急! 04」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「しおじ」編の第4回ですが、今回は昭和42年から昭和43年の10月1日のダイヤ改正となる、「ヨン・サン・トオ」大改正に至るお話です。
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(Kt1641F)今まで、何度も取り上げられたお話ですが、今回は「しおじ」での視点で見ていきます。
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(Hs1208F)で、どうなるのでしょうか。それについてお話しますが…。
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(クハ481型初期)さて、本日は昭和41年10月からの2年間ですが、九州での電化作業が急ピッチで進んでいたことから、昭和42年9月15日大分県の幸崎駅まで電化が完成したことにより、ダイヤ改正が行われることになりました。実は日豊本線電化は、昭和54年までの12年にわたり、徐々に電化されていくのですが、その始まりとなったのは、この大分電化からです。
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(キハ82型)しかし、昼行列車が不足している以上に、速達性を優先しなければならない夜行列車の需要も高まっていました。特に特急は不足していることは確かで、当時は、宮崎県まで走るのは、付属編成を佐世保駅行き変更した「いそかぜ」のみで、夜行列車は名門急行といわれる「日南」号のおんぶにだっこの状態。さらに、オール1等編成で組んでいた臨時急行列車「ことぶき」が活躍していたことも併せても、急行列車が主役と言った印象があります。そのため、いち早く寝台列車を運転させる必要がありました。しかし、それと同時に、昼行列車の需要にも対応できる車両も作らなければならない。そこで、昼夜両方にも対応できる車両として、581系電車が開発される運びとなりました。実は、「しおじ」にもこの車両がかかわってきます。
イメージ 1(Kt1641F)どうして、この車両がですか?
イメージ 3(クハ481型初期)実は、この車両は「つばめ」編でも登場した車両ですが、この車両は、昭和47年ダイヤ改正で、「しおじ」の編成の一部を担当していることからですが、彼が担当してくれる運用があったことから「しおじ」は発展できたといえるのかもしれません。
(Hs1208F)だから、581系電車の活躍をお話されることになるわけですね。
イメージ 3(クハ481型初期)その通りです。実は、「みどり」とペアリングとなるのが「月光」で、その列車名から巷では「月光型電車」という名前で親しまれます。実は、この時に余った80系気動車は、本州にとんぼ返りし、この話の直後に登場してくる「くろしお」の増発にかかわってくることになりますし、このシリーズでも触れるのですが、「有明」の設定にも大きくかかわってきます。それは、それぞれのシリーズでお話するとしまして、「しおじ」には当分変化はなく、「しおじ」と「しおかぜ」のコンビは、走り続けておりました。
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(クハネ581型)皆様ご無沙汰しております。581系電車のクハネ581型です。「つばめ」編以来の登場ですが、「しおじ」とかかわってくるのは、先輩がお話してくれた通りで、後々のお話です。ただ、次の改正では、私も大きくかかわってきます。昭和43年10月のダイヤ改正で、「しおじ」と「しおかぜ」の統合が行われます。この時に、私が新たに運用として設定された「はと」が新大阪駅発着の博多駅行きとして増発されたのですが、そのダイヤの筋が「第1しおじ」の筋を、引き継いでいました。そのため、特急「しおじ」が3往復になるとともに、「しおかぜ」がこれにより消えることになるわけです。
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(クハ481型初期)そのため、「はと」と「しおじ」のダイヤは次のようになります。まず、「しおじ」の第1便となる「しおじ1号(下り)」新大阪駅午前10時28分発の広島駅午後3時前となる午後2時50分着となり、その7分後に、臨時列車(翌年ダイヤでは定期化)という形ですが、「はと1号(下り)」が新大阪駅を10時35分発とし、博多駅は午後7時1分着と変更。続いては、「はと2号(下り)」が3時間後に新大阪駅を出発ということになり、午後1時28分発の博多駅が午後9時56分着でした。その後に「しおじ2号(下り)」が唯一の下関駅行きで、新大阪駅を午後3時28分発の下関駅が午後10時48分。下りの最終「しおじ3号(下り)」が新大阪駅を午後5時28分発の広島駅が午後9時54分着となっておりました。一方で、上りは「しおじ1号」が新大阪駅に午後12時42分、「2号」が午後2時42分到着で、その後は「はと」が連続して続きます。ちなみに「1号」が午後4時42分、「2号」が午後6時42分、「しおじ」の上り最終便「3号」が新大阪駅を午後8時42分に到着するという流れになっておりました。
イメージ 1(Kt1641F)今からでは考えられないのですが、どうして、「はと1号(下り)」と「はと2号(下り)」の時間が、空きすぎという状態になったのでしょうか。
イメージ 5(クハネ581型)この3時間の空白は、その間に急行列車が、下関方面の「ながと」、「とも」といった列車が、補完しあっていたわけで、対応できたわけでした。ただ、それがまずいと見た国鉄は、昭和44年と昭和45年、昭和48年の3度にわたってのダイヤ改正でテコ入れを図っていきます。というわけで、次回は、昭和44年のモノクラス制度への移行と、昭和45年の鹿児島本線の全線電化でのダイヤ改正のお話をしていきます。
(N)次回をお楽しみに! それでは。