名列車列伝特集 11-6「新幹線を支え、山陽路を支えた名特急! 06」

(N)本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「しおじ」編ですが、今回は、昭和46年からの展開をお話します。で、昭和45年10月1日改正で、485系電車が直流区間を走る特急に徐々に投入されていく時代の話を最後にしたのですが、今回はその続きです。
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(Kt1641F)楽しみですね! 面白いですね。
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(Hs1208F)それでは、「新幹線を支え、山陽路を支えた名特急」の第6回です。では、クハネ581型さん、クハ481型さんよろしくお願いいたします。
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(クハ481型初期)では、前回からの復習となるのですが、昭和46年のダイヤ改正で、485系電車が本格的な進出が開始されましたが、同じ昭和46年8月、私たちの運命を決しかねない事態が起きておりました。それが、山陽新幹線の線路締結が行われたのです。実は、九州側から工事を開始しているのですが、この日に昭和46年に全路線の締結と相成ったのです。その翌年の3月に、なんと山陽新幹線の岡山駅の部分開業と至るわけですので、いかにスピーディーにするかが、課題としてあったわけです。
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(クハネ581型)それに、当時の山陽本線は、新大阪駅で特急との接続を行い、山陽の各都市、九州に向けての体制がとられておりましたが、181系電車の老朽化が徐々に進んでいたことがあり、車両の変更が求められておりました。実はさかのぼること2年前に、今まで2等級の座席制度が、モノクラス制に改められたことにより、1等車の扱いが「グリーン車」に改められたと同時に、先頭車両に昭和41年から改造をされていた元「パーラーカー」と呼ばれる個室車両の需要が落ち込んだことから、181系電車はその輝きを徐々に失うことになっていきました。そうした関係から、昭和47年3月15日改正では、新幹線の接続駅が新大阪駅から西の岡山駅に変更され、形態が大きく変わることになりました。
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(Kt1641F)確かに、「パーラーカー」のお話は、「つばめ」編で聞いたことがありましたが、やはり、人々の間では浸透していなかったということなのかもしれませんね。
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(クハ481型初期)もともと、当時会社の重役など、裕福なお方が乗る車両というイメージがありましたから、それほどの需要を掘り起こせなかったわけでしょう。ちなみに、昭和47年3月15日の岡山開業改正では、「つばめ」と「はと」の増発が図られると同時に、運転区間が変更となったのは、「つばめ」編でご紹介した通りですが、改めて述べますと、博多駅と熊本駅を結ぶ「つばめ」が、4と2の6往復、下関駅行きの「はと」は4往復ほどしかありませんでした。ちなみに、その間の「つばめ」編の下りについては「01-7」でも触れております。
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(クハネ581型)それと、もう一つ特筆しておきますが、当時製造数量の少なかった485系は、岡山駅から博多駅に向かう「つばめ」2往復と、大阪駅発の大分駅に向かう「みどり」(ただし、上り列車は新大阪駅着)で、九州系統が3往復となっており、それに山陽線内完結となる「はと」1往復と、新大阪駅から広島駅までを担当している「しおじ」の1往復だけという寂しいものでした。方や、私は、忙しいほどの往復数をこなすことになってしまいます。岡山駅から博多駅へ向かう「つばめ」2往復と、熊本駅に向かう「つばめ」2往復、485系さんと同じ新大阪駅から広島駅に向かう「しおじ」の1往復を含めて、合計5往復に、夜行寝台特急「明星」が、新大阪駅及び京都駅(「下り3号」の博多駅行きと、「上り3号」の熊本駅発)から熊本駅及び博多駅を結ぶ4往復、京都駅から鹿児島中央駅までを結ぶ「きりしま」1往復、岡山駅から出発する鹿児島中央駅(「下り1/上り2号」)及び、博多駅(「下り2/上り1号」)を結ぶ「月光」2往復、そして東京方面に次いで、名古屋駅から博多駅をロングランしていた「金星」1往復を含め合計13往復を切り盛りすることとなっておりました。
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(Hs1208F)一つ、ナレーターさんに質問ですが、昼行及び夜行特急の総合計の往復数はどのくらいになりますか?
(N)この改正では、ざっと30往復あります。客車列車が5往復、ディーゼル特急が3往復となっておりまして、総合計の往復数から8往復引いた分が、電車特急の往復数となるわけです。
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(Hs1208F)ということは、合計22往復で、583系が13往復、485系が5往復、ということは、4往復は181系電車が担当していたということですよね。
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(クハ481型初期)大正解、山陽新幹線の岡山駅開業ではそういう形になったわけです。ところが「しおじ」の往復数は、新幹線の開業と同時に、一部の運用を新設された特急に任せたため、2往復減便の3往復、つまり「ヨン・サン・トオ」時代に戻される格好となったわけですが、この直後、昭和47年10月に再び1往復増やして4往復体制に移行します。その改正では、「つばめ」の1往復を「はと」の振り替えで、増発と同時に熊本駅に延伸運転することとなります。この改正で、山陽本線特急の3兄弟といえる「つばめ」、「はと」、「しおじ」は「L特急」を名乗ることになります。実は、私たちが最初だったわけです。
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(クハネ581型)そういえば、この1年で劇的に変わったのが、485系電車の大量増備と、181系電車の移動でしたよね。
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(クハ481型初期)その通り。確かに昭和48年3月のダイヤ改正では、181系電車が山陽路を去ることになりました。実は、熊本駅行き「つばめ」の1往復増発、さらに「はと」の大分駅延伸運転によって「”岡山”みどり」が誕生し、さらに「はと」3往復単独増発で5往復体制に変更、「つばめ」は8往復を切り盛りしていく結果となっていきます。同年10月には、「しおじ」の5往復体制化が行われております。
(N)なお、昭和48年ダイヤでの、大阪駅と新大阪駅から山陽、九州方面に向かう列車の時刻は、次のようになっておりました。朝早い大阪駅を午前6時15分に出発する下関駅に向かう「しおじ下り1号」を筆頭に、7時5分の現在の鹿児島中央駅に向かう「なは」が、8時25分には大分駅に向かう「みどり下り1号」という順番で出発していきます。続いては、ディーゼル特急の「日向」が「なは」の20分後に大阪駅を出て行き、8時台に京都駅からやってきた「かもめ」が長崎駅に向けて出ると、新大阪駅を9時14分に出た「しおじ下り2号」が広島駅まで向かうという形になっておりました。この後は、午後4時まで特急は運転されておりません。
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(Kt1641F)つまり、新幹線がカバーしていたわけですね。
(N)その通りです。その後は、午後3時58分に新大阪駅を出た「しおじ下り3号」と、30分後に続行で「しおじ下り4号」が続き、午後5時25分の広島駅に向かう「しおじ下り5号」で昼行特急は打ち止めとなるわけです。その後は1時間30分後に、熊本駅に向かう「明星下り1号」にバトンが渡ますが、この30分前に、鹿児島中央駅駅に向かう「あかつき下り1号」が入る仕掛けとなっておりました。
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(Hs1208F)複雑だったのですね…。
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(クハネ581型)岡山駅だったら、これの比ではないですよ。先ほど言っただけでもまだ生易しい方で、これに「つばめ」と「はと」、「”岡山”みどり」が加わりますから、ややこしいったらありゃしないわけです。まあ、そういった形で、山陽本線特急はかなりの運用本数を確保したのですが、路線自体にも限界が見えてきました。そして、わずか2年後に「しおじ」を襲ったのは、まぎれもない運用の消滅でした。次回は、「しおじ」がその後たどった道と、「しおじ」の果たした役割を考えていきます。次回をお楽しみにしていてください。
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(Kt1641F)エンドコールありがとうございます。それでは、次回をお楽しみに。