名列車列伝特集 11-8「新幹線を支え、山陽路を支えた名特急! 08」

(N)さて、名列車列伝特集は、「しおじ」編を続行しておりますが、実は、昭和50年で本編が終了と相成ったのですが、今回は、「博多開業」以降の仲間たちのお話がメインとなります。
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(Kt1641F)どういうことですか…。
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(Hs1208F)新幹線の後で、どのように消えていったのですかね…。
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(キハ82型)さて、昭和50年の3月ダイヤ改正で、「しおじ」はなくなってしまったのですが、実は、「しおじ」の仲間たちは、その後どうなったのかという話です。その仲間である「なは」と「あかつき」については、またまた取り上げますので、ここでは「みどり」を中心にお話していきます。実は、新大阪及び岡山駅と大分駅及び宮崎駅を結ぶ列車として活躍した「みどり」ですが、昭和50年のダイヤ改正以降、1年間の空白期間に入ります。どうしてかといいますと、「みどり」に該当していた区間を走っていた列車があったことから、「みどり」の活躍の場は、狭められたのです。そのため、「みどり」のイメージが、現在の九州の大都市である、博多駅と港町兼軍港として知られる佐世保駅を結ぶ列車となったのは、その翌年の長崎本線及び、佐世保線の電化が大きく絡んでおります。
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(クハ481型初期)そして、同時に復活した「かもめ」と併結運転を行うことで、博多駅から佐賀県の肥前山口駅までの輸送力を確保することになったのですが、その後、いったん併結運転を解除します。それが、わずか2年の間実施されることになるわけです。さらに、「かもめ」併結運転の第2弾は、平成23年3月12日、言ってしまえば「東日本大震災」の翌日に行われたダイヤ改正まで、24年にもわたって続きます。その間には、併結特急に「ハウステンボス」が加わるなど多種多彩な運用が行われるようになっていきました。
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(クハネ581型)どうして、彼を取り上げたのかといいますと、「博多開業」に伴って、「みどり」も単独の山陽本線特急から新幹線連絡特急として脱皮するという一例として取り上げたからです。ただ、「みどり」だけに限ったことではなく、第3弾でご紹介した「かもめ」も昭和51年のダイヤ改正で、同じ役割を担うことになっていきます。これに関しては、九州特急のほとんどが、その役割を担っていますし、かつての「つばめ」も同じ役割を担っておりました。
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(キハ82型)ただ、私が駆け抜けた時代とは大きく異なり、電化されている区間の多くは、交流直流にも対応した電車が運転されていたのですが、新幹線が開通した後は、その区間の機器が不要になるということになってきました。そこで、昭和50年代後期から、直流設備の取り外しが行われるようになり、583系電車に関しては、運用が減った車両から随時、普通運用に適応できる車両への改造が進みます。
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(クハネ581型)それによって、私の特急列車としての運用がどんどん削られることになってしまいます。しかも、特急列車の増発はもう一つ、短編成化を生み出す結果ももたらしました。先ほど挙げた「みどり」も当初は、4両編成というミニ編成特急が、「かもめ」にくっつく形で運転されていたわけですし、ミニ編成特急が、次第に人々の認知されるのは、90年代以降ということにもなります。ただ、私たち昭和世代にとっては、さみしさも同時に感じたくらいです。
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(クハ481型初期)「みどり」と「かもめ」以外の列車は、新幹線連絡列車としての役目を終え、もともと、九州で運転されていた特急が、その役割を担うことになったわけですが、それでも新幹線だけでなく、山陽本線でしぶとく生き残った列車もいました。夜行寝台列車がそれに当たりますが、それについては、また改めてお話するとして、電車夜行で「鷲羽」という列車は、なんと5年も走り続けていました。
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(Kt1641F)瀬戸大橋と関係しているのでしょうか?
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(クハ481型初期)その通りですね。確かに、「宇高連絡」の役割を果たしていくため、必要だったのかもしれません。
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(クハネ581型)そして、山陽本線特急のその後を、おっていきますと、寝台特急の列車、急行列車の廃止が行われる減量がどんどん行われるようになってしまいます。そのため、夜行特急が九州方面で全滅したのも、そういったものが関係しているためです。
(N)確かに、夜行列車の需要が、バスへと移行した今となっては、特急列車の需要がどこまであるのか、分からない時代の中で、大変な苦労をされていたというのは分かるかもしれません。90年代以降は、景気減速からスピードが要求される時代となったのも背景としてあったのかもしれません。
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(Kt1641F)なんだかんだで、人々はスピードアップを求める動きがあることは事実ですし、今もその風潮は奥底に秘められているのではないでしょうかね。
(N)その通りだと思います。皆様は、どう感じられたでしょうか…。今回は、山陽本線特急の中で、目立たない存在でありながら、縁の下の力持ちとして活躍した「しおじ」のお話をしてきました。確かに、その歴史は短命だったのかもしれませんが、その残した功績は大きいといえます。山陽新幹線に受け継がれた彼らの遺伝子が、日本の大動脈たる「東海道・山陽」ルートの確立につながったのは、今の新幹線が運転されていることから見ても、大きかったといます。山陽本線で、山陽新幹線でこの場所を通るとき、彼らの姿を思い起こしていただければ幸いです。
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(クハ481型初期)ということで、次回は、第12弾の「はくつる」編に移る予定です。ここでは、客車、電車特急として活躍した「はくつる」及び、「ゆうづる」と、その発展版である「北斗星」などを中心に、お話を展開する予定としております。お楽しみに。
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(Kt1641F)次回予告まで、ありがとうございます。それでは、皆様、次回お会いいたしましょう!