名列車列伝特集 12-2「東北圏内の寝台特急の発展に貢献した名特急! 2」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「はくつる」編の第2回です。で、前回のお話では、東北及び、常磐本線を経由して青森駅を結ぶ急行列車たちの活躍を見てきました。今回は、戦後直後のお話から始まります。
イメージ 1
(Kt1641F)復興期にどういった列車が活躍していたのか…、それが気になりますね。
イメージ 2
(Hs1208F)私も気になります。ということで、「東北圏内の寝台特急の発展に貢献した名特急!」の第2回目をお送りいたします。
イメージ 3
(EF58型)さて、昭和20年代に入り、東北地方を走る急行列車が運転を再開してから、上野駅から出発する青森駅行き急行が、どんどん増発されておりました。昭和25年のダイヤ改正から、誕生したのが名称がつくことになりました。そのため夜行2系統が命名されることになりました。そのために、「みちのく」の1等寝台(現在でいうとSA1ないしSA2)が、青森駅と函館駅間を青函連絡船で輸送するという「航送輸送」をやっています。
イメージ 1
(Kt1641F)こ、航送輸送…?
イメージ 2
(Hs1208F)どういうことですか…?
イメージ 4
(C60型)ここからは私が説明していきます。実は、この時期から1等寝台車両と、2等寝台車両を連結する列車たちが、運転を再開した理由は、当時の北海道連絡の重要性は、戦前から指摘されていたのですが、その需要は、戦後初期でも変わらないどころか、うなぎ上りに増えていったのです。
イメージ 1
(Kt1641F)そのため、急行列車がそういう理由で、運転されていたことを考えると、大変だったのですね。
イメージ 3
(EF58型)実は、それ以外にも理由があります。昭和21年に上野駅と札幌駅を結ぶ、「ヤンキー・リミテッド」号が誕生したこともあったうえ、アメリカ空軍の部隊輸送などを兼ねていたこともあって、需要も高かったということになります。
イメージ 2
(Hs1208F)それだとすると、国内で暮らしておられる人々に対しては、乗ることができないということではないでしょうか?
イメージ 3
(EF58型)その通りですが、これが解放されるのは、6年後の昭和27年からです。どういうことなのかと申しますと、前年の昭和26年に、日本が独立することとなった「サンフランシスコ講和会議」が開かれたためです。これにより、私たちの列車が日本国内を走る列車として、認知されるようになっていきます。
イメージ 4
(C60型)そして、「みちのく」、「北斗」以外に、その列車が「十和田」、「おいらせ」が命名された列車が登場してきたわけです。さらには、「きたかみ」も登場して、「北斗」以外は、東北地方を代表する地名が列車名に加わります。分かりますか?
イメージ 1
(Kt1641F)全て、観光地ですか?
イメージ 4
(C60型)当たりです! 実は、「きたかみ」は北上平野で、「みちのく」は東北地方の別名です。さらに、「十和田」と「おいらせ」は、十和田湖と流域にある奥入瀬渓谷のことを指します。そのため、その後は「いわて」も登場したのです。
イメージ 3
(EF58型)それゆえ、東北本線の急行に、「八甲田」を加えて、相当な往復数の急行が活躍を開始したのです。そして、昭和36年以後、昼行特急「はつかり」に加え、寝台特急の需要が高まり、「はくつる」が誕生するのです。
イメージ 1
(Kt1641F)確かに、「はくつる」ではありますが、その後どうなっていくのです。ということで、次回は「はくつる」の活躍を開始していきます。