名列車列伝特集 12-4「東北圏内の寝台特急の発展に貢献した名特急! 4」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「はくつる」編の第4回です。それで、今回は寝台特急「ゆうづる」の誕生についてです。
イメージ 1
(Kt1641F)どうなっていく事になるか、面白いことになりますね。実は、後から出てきた列車がエースとなると聞いたのですが…。
イメージ 2
(Hs1208F)では、「東北圏内の寝台特急の発展に貢献した名列車!」の第4回です。では、皆様解説をお願いしますm(_ _)m。
イメージ 3
(EF58型)さて、昭和39年10月に登場した「はくつる」ですが、登場当時の時刻は次のようになっておりました。上野駅を午後6時30分に出る「はくつる」は、東北本線をひた走りますが、途中の停車駅は、1時間半で宇都宮駅に到着、その後、黒磯駅で機関車交換のため、午後8時53分に停車、ここでED71型さんにスイッチし、郡山駅に午後9時50分停車、福島駅には午後10時32分、仙台駅には午後11時52分に停車します。この間に、再度機関車変更となるのですが、ここからは蒸気機関車のC61型さんが担当を受け持ち、盛岡駅ではC60型が峠越えをアシストします。その後は、盛岡駅を出ると、青森県の八戸駅までノンストップ、ちなみに当時は尻内駅、明朝の4時30分着、青森駅は、明朝の6時10分着となり、青函連絡船の3便に20分後に接続するダイヤとなっておりました。逆に上りは、午後10時40分に青森駅を出ると尻内駅に、深夜の0時23分、以下は飛ばして、仙台駅には午前5時3分、宇都宮駅には午前8時46分、上野駅には午前10時20分着となっております。下り上りとも11時間40分の所要時間でした。
イメージ 1
(Kt1641F)珍しいですね。普通では、機関車交換で時間がかかるといわれておりますよね。
イメージ 4
(クハネ583型)どうも、「はつかり」編で紹介させていただきましたクハネ583型ですが、実は、私のスタイルが、近鉄特急の12200系以降の車両のデザイン担ったという話ですね。それで、当時の車両編成が座席指定車両を2両、1等寝台と食堂車が各1両、B寝台の5両に電源車両が1両の11両編成で、食堂車については、下りが夕方に上野駅を出発するため、ビジネスパーソンためということになります。実は上りの方が、需要があるといえます。この列車は、下りが3便が函館駅に到着すると、函館駅から出発する特急「おおとり」で、この列車は、釧路駅と網走駅に向かう列車で、この列車乗っていくと、北海道の道都札幌駅に到着時刻は午後3時15分だったことから、「はつかり」だけで深夜に青函連絡船に乗り継ぐので、不便な部分を解消させる効果もあったわけです。
イメージ 5
(キハ82型)しかし、それだけでも乗客の需要にこたえられない状態でした。それが、茨城県と、福島県沿岸地域の人たちです。その方々の需要にこたえるため、設定されたのが、昭和40年10月のダイヤ改正で登場する「ゆうづる」ということになります。この列車の特徴は、上野駅を午後9時30分発で、水戸駅を午後11時22分、いわき(当時の平)駅が深夜の0時43分となっていました。その後は、盛岡駅は午前5時53分、八戸駅は午前7時45分、青森駅は午前9時15分に到着します。こちらが、函館駅で5Dの「北斗」号に接続するダイヤが組まれていたわけです。
イメージ 1
(Kt1641F)ということは、ほとんどの北海道特急に接続している関係からか、82系気動車ということになっておりますね。
イメージ 5
(キハ82型)その通りですね。確かに、1便接続は1D「おおぞら」で、3便では「おおとり」、5便で「北斗」もすべて私が担当する列車ですね。
イメージ 4
(クハネ583型)ただ、実は、このいわき駅からC62型蒸気機関車に付け替えることになります。実はいうと、電化区間がいわき駅から仙台駅の区間のみ完成していなかったことから、この措置を取らざるを得ませんでした。さて、当時の編成は「ゆうづる」の時から編成が変更となります。電源車両が1両、1等寝台車両が2両に増え、食堂車が1両、B寝台9両に改められました。これは「はくつる」でも同じことが起きておりまして、このようになるのが昭和43年10月1日のダイヤ改正で、東北本線の全線電化が完了するまで続く措置となります。ただし、「はくつる」は2等座席指定車両はそのままとなっておりました。そして、交流電化車両のトップランナーとなったED75型が「はくつる」の黒磯駅から仙台駅、さらに電化区間が伸びた盛岡駅まで、運用に就いていたわけです。
イメージ 3
(EF58型)ところで、この「ゆうづる」が、最後の蒸気機関車運転の寝台特急だったという話は、あまりにも有名ですが、これ以外にも運転区間の変更で、蒸気機関車がピンチヒッターで運転されていたのを最後となりました。代走「あけぼの」がそれに当たりますが、この話は、「あけぼの」の誕生の回でお話します。
イメージ 6
(C60)確かに、私たちの運転区間は、DD51型ディーゼル機関車が、運用任務に当たっておりました。実際に蒸気機関車が衰退していく中で、最新動力としてディーゼル機関車が運用を開始しておりました。結果として、その後、東北本線の全線電化が終わってから、復活まで私たちは、それぞれの場所で、余生を過ごします。
イメージ 2
(Hs1208F)最後の花道を飾るにふさわしい列車だったのかもしれませんね。
イメージ 4
(クハネ583型)そういうことだったのかもしれませんね。ということで、次回は昭和43年ダイヤ改正による変化です。それでは、次回をお楽しみに。