「いこーや、なごーや」、リニア館への旅 09

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」本編から「いこーや、なごーや」旅の第9回です。

さて、
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江戸幕府政権の対応で、屈辱を受けたレザノフは、対日攻撃の建白を当時のロシア帝国皇帝アレクサンドル1世にあてた上奏書簡で述べ、ロシア帝国海軍海軍大尉のフヴォストフと、同じく海軍少尉のダヴィドフに命じて、樺太島に攻撃を仕掛けることになるのですが、攻撃開始は上奏書簡を出してから1年経過した文化3(1806)年の夏、ユノナ号と呼ばれるフリゲート艦で、現代でいえば軽巡洋艦か、駆逐艦に相当する軍艦といえる存在です。
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その軍艦が、樺太島のアニワ湾に上陸すると、略奪を開始、そこから、千島列島でも略奪行為を行いました。しかし、その話が主とサンクトペテルブルクのアレクサンドル1世の耳に届きます。実際の被害を『菜の花の沖』の「暴走記」では、1隻の輸送船を拿捕された挙句、陸上施設を破壊されてしまうことになります。その直後に、レザノフは急死、さらにゴローニンが日本の防衛状況の確認のため、艦船を派遣します。
それから5年後、文化8(1811)年にゴローニンは捕縛されることになります。実は、嘉兵衛の所属船籍が拿捕した目的は、「ゴローニンが生きているのかの確認」、「日本と通商交渉ができるのか」という2点です。一つ目はの目的についての答えは、ゴローニン本人が2年間幽閉されていたことから、本人が生きているということが確認されたわけです。二つ目の答えについては、日本との交易が認められるのは、それから43年後の嘉永7(1854)年を待たなければなりません。
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そして、嘉兵衛がその一件に、積極的に走り回り、戦争回避に繋げたという点では、高田屋嘉兵衛の努力は、並大抵のものではないということになります。
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その後、日本とロシアの関係は、『坂の上の雲』の日露戦争を経て、そして、第2次世界大戦の樺太、千島の占領と、そして北方4島問題という順番に、歴史は進んでいきますが、今も動き始めており、本年では日露問題は、プーチン大統領と安倍首相との会談で解決するのでは…、という見解も聞こえてきます。
それはどうなるのかは、神のみぞ知るということで、私たちを乗せた列車は、午前9時15分に、近鉄名古屋駅5番乗り場に滑り込みました。
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私たちの21103編成は、その後で米野車庫で、いったん休み1時間後の午前10時発の60列車で大阪難波駅行き特急(甲特急)で、大阪難波駅に戻ります。
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その隣に停車していたのが、近鉄汎用特急の最新鋭車両22600系で、大阪難波駅行き特急(乙特急)が停車中で、11時56分に大阪難波駅に到着する形となっております。
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さて、近鉄名古屋駅から、ある鉄道の名古屋駅に向かいますが、なんと17分の移動時間がかかります(オイオイ、長いのでは?)。
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その前に、近鉄名古屋駅の構内を撮影していきます。
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これは、近鉄の時刻表と、対応する新幹線の時刻表です。実は近鉄名古屋駅の真上は、なんと新幹線の改札などが並んでおり、隣には、名鉄本線が並行した形で、接しております。
この両者は、直通運転をしていたころがあり、その跡が残っております。
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9000系9008編成の名古屋駅始発の四日市駅方面、松阪駅行き急行が停車中でした。
それを撮影後、移動。
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―20分後―
どこかといいますと、ここは、民鉄ではなく第3セクター路線の「あおなみ線」で、
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ここから、名鉄ビルが見えてきます。実は、ここにも、お邪魔することになります。
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そして、こちらが名鉄名古屋駅の上。で、そこから、目を線路側に移すと、
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JR東海の車両たちが行きかう名古屋駅です。懐かしさがあるのですが、実は、私は東海地方に来たのは、これが2度目、1度目は、岐阜県の多治見市に本社がある「平成観光」と呼ばれる企業に就職しようとしたときに、一度中央西線に乗車したことを覚えております。

というところで、次回は、JR東海の車両たちを追いながら「あおなみ線」の車両に乗車して、目的地の「リニア鉄道館」を目指します。次回をお楽しみに。

それと明日は、泉北高速鉄道の鉄道祭りに行ってきます。それでは。

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