名列車列伝特集 12-9「東北圏内の寝台特急の発展に貢献した名特急! 9」

(N)で、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「はくつる」編の第9回ですが、今回は激動の時代で、昭和55年からの時代に入っていきます。
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(Kt1641F)それって、ナレーターさんの生まれ年ともかかわってきますよね。
(N)その通りです。実は、昭和57年の東北上越新幹線の開業が大きくかかわってきます。それが、深夜帯を走る夜行列車に大きな影響を与えることになります。
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(Hs1208F)それでは、「東北圏内の寝台特急の発展に貢献した名特急!」の第9回をお贈りします。
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(クハネ583型)昭和50年のダイヤ改正で、新たに2往復を追加した寝台特急「ゆうづる」ですが、私が受け持ったのが3往復、そして客車列車を使用した列車が4往復でしたが、実は、昭和50年代に入ってから、航空機の台頭のため、シェア争いに破れてしまいます。特に大きかったのが、国鉄の値上げです。これにより、大変なことになりました。
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(ED75型)実は、昭和50年代から20系客車の使用を停止して、24系客車に置き換えていきました。それに、1往復は昭和53年のダイヤ改正で、14系客車に変更してもらい、「北陸」との共通運用で、12両編成と共通しており、1両がA寝台車両としており、11両はB寝台車両となっておりました。実は、ダイヤは、電車列車の内2本が、午後7時台、1本が午後9時40分に上野駅を出発し、客車列車の4編成は、午後9時50分台、10時台から11時台に上野駅を出発する列車で、ダイヤが固まりすぎているという点は課題として残っておりました。そこで、昭和55年10月ダイヤ改正では、今までの右肩上がりのダイヤを見直し、減量ダイヤ化を進める一方で、最新鋭車両の導入による快適性脳のアップを目指した取り組みが行われます。特に、午後7時53分上野駅を出発する「ゆうづる3号」と、「ゆうづる」の中では、唯一といわれた上野駅を午前9時に到着する「ゆうづる14号」の電車列車1往復、そして客車列車では、上野駅を午後10時16分に出る「ゆうづる9号」と、上野駅を午前5時38分に到着する「ゆうづる4号」の1往復が、減量ダイヤの対象となり、季節列車として運転を続けられなくなりました。また、上野駅を最も遅く出発する「ゆうづる13号」と、午前6時に上野駅に到着する「ゆうづる6号」は、最新鋭車両の24系の改良型で、「ニューブルートレイン」世代のベストセラー車両である24系25型客車に置き換えて、サービスアップを行い、これに伴った改造で、24系、14系客車も内装改造を行うことになりました。
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(Hs1208F)どう変わったのか、教えていただけますでしょうか?
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(ED75型)実は、B寝台となっている車両のベットは、当時3段式が当たり前だったのですが、それでは狭いということが課題で、2段ベットに変更して、下段の空間を広く取るという工夫を行いました。しかし、改造できたのは、2段寝台化したニューブルートレイン形式のみで、583系は構造上の問題から、この改造自体が無理だったのです。
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(クハネ583型)そう、私の構造は、椅子のスペースが丸々寝台になるだけでなく、荷物スペースの区画を開放すると、寝台セットが現れる仕組みで、そこにもう一つの寝台区画スペースが現れるという構造になっていたこともあり、2段化改造自体ができないという欠点を抱えておりました。
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(ED75型)加えて、昭和50年代は「スト権スト」が起きた年代とも重なり、労働者の待遇改善などを求める声が強くなっておりました。そのため、運賃値上げがたびたびおこなわれるようになり、東京から札幌間の運賃比較では、鉄道と連絡船を使用した場合が1万7800円、航空便が2万3400円と差がないという状況で、1時間で目的地を結び、且つ、23往復というフリークエントシステムを採用した航空便側が、圧倒するのは目に見えていたという状況でした。
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(Kt1641F)ということは、速達化は急務ということですよね。
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(クハネ583型)そうなりますが、それで犠牲になったのは、夜行列車であることを忘れてはなりません。昭和57年6月に東北新幹線が暫定開業し、同年11月に上越新幹線とともに、本格開業すると、対東北、対北海道輸送では、「新幹線リレー」、新幹線「やまびこ」、「はつかり」の3列車によるリレー運転が行われるようになり、特に、上野駅と仙台駅間は、短距離航空路線を展開していたのちに日本航空(JAL)の子会社となる旧称「日本エアシステム(JAS)」、そして、大本となる名前が「東亜国内航空(TDA)」の羽田と仙台を結ぶ空港便を、廃止に追い込む活躍を見せました。
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(Kt1641F)おっ、おそるべし!
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(ED75型)ところが、その陰で「いらない子」扱いとなった「季節ゆうづる」が廃止となり、1往復が「はくつる」にコンバートの上、増発という形で、「はくつる」の2往復化が決定し、4往復あった客車列車の「ゆうづる」が、この改正で2往復となり、3往復(うち1往復が季節列車で残されました)が電車列車のまま存続したのです。しかし、昭和59年にサービス改善の一環として、10月からヘッドマークの装着が再び行われるようになったのがせめてもの救いでしょうか。しかし、昭和60年のダイヤ改正では、さらにどん底に突き落とされる事態が待っておりました。東北新幹線の上野駅開業のダイヤ改正がまさにそれで、季節列車だった「ゆうづる」2往復が削れらると同時に、コンバートされた「はくつる」は現状維持をしておりました。逆に、「あけぼの」は合計3往復を保ったままで、山形新幹線開業の平成4年まで系統を維持している段階だったわけです。
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(クハネ583型)かなり肩身の狭い時代だったわけだけど、実は客車列車の方では、わずかながらの光も差し始めていました。それが、昭和62年の国鉄の断末魔寸前の改正で、誕生する客車がいて、その車両が、私たちの希望を託したあの列車の道しるべとなっていくわけです。
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(Hs1208F)ということは、「ゆうづる」と「はくつる」の関係ではなく、「ゆうづる」と「ある列車」…?
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(ED75型)それについては、昭和63年の「一本列島」ダイヤが答えかもしれないですね。
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(Kt1641F)ま、まさか!
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(クハネ583型)そのまさかです。ということで、次回は「北海道連絡の時代は終わった!」というサブタイトルで、お送りいたします。
(N)ということで、次回は、あの話が出てきます。お楽しみに。それでは。