あれから24年(パート4)

(N)さて、皆様こんばんは、そして、お仕事の方は、お疲れ様です。本日の話題の2本目は、「雑記」から「阪神淡路大震災」特集のパート4です。前回は被害の大きかった阪神電鉄と、阪急電鉄を見て来ましたが、今回は山陽電鉄のお話です。ゲストは...。

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(Sy3030F)私がお話するのですが、よろしいでしょうか?
(N)どうぞ。

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(Sy3030F)お話する前に、当時の山陽電鉄本線の状況について、お話します。山陽電鉄本線の運転は現在とは少し異なり、山陽電鉄姫路駅から、阪急電鉄と阪神電鉄に直通する特急が存在し、阪急電鉄と阪神電鉄から乗り入れの特急が入ってくるスタイルを取っておりました。これは、阪神電鉄と山陽電鉄の直通特急が走る平成10年迄続くのですが、阪神淡路大震災は、山陽電鉄本線の運転形態を大きく変えることになる出来事でもありました。

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(Sy5012F)私も特急の運用についていたのですけど、そもそも、皆様はこんな疑問をお持ちだと思います。「なぜ当初から直通特急を設定しなかったのか?」です。昭和43年当時、神戸市内を走る交通機関は市電だけで、交通渋滞が頻発していましたので、神戸市内の市電の代わりに、鉄道を通して列車を運転させ利便性をよくすることが、大前提としてありました。そのため、神戸高速鉄道線内の各駅になるべく停車させ、利便性を向上させることが、第一目的だった訳です。

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(Hk1007F)そんな話があったのですか。

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(Sy3030F)そうだったのですよ。私も阪急神戸三宮駅方面六甲駅行き特急を担当したことがありましたし。私は、その関係であの日は、山陽高砂駅始発の神戸三宮駅方面、大石駅行きのS特急の運用に就いていたのですが、突然揺れが襲い、ものすごい音だったことを覚えております。揺れが収まったと同時に、路線内の点検が行われた結果、神戸高速鉄道の大開駅が陥没しているなど、散々な状況で、バイパスとなる路線は皆無ですから、絶望的です。そこで、とりあえず明石駅迄何とか出来るかと思いつつ走って見ようかと、進言したのですが...社員の方に止められました。

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(Sy5012F)それはそうですよ。まだ余震が続いているのですから。危ないですよ(^^;。ただ、私も行きたかったですね。復旧のためなら、なんとしても...。
(N)そうですけど、まずは身の安全ですね。

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(Sy3030F)とりあえず、本日はここまでとしましょう。次回は、神戸電鉄のお話です。お楽しみに。