あれから24年(パート7)

(N)本日の話題の2本目は、「雑記」から、「阪神淡路大震災」特集のパート7で、今回は、阪神電鉄のお話です。実は近鉄さんとつながる前のお話です。
イメージ 1

(Hs2207F)さて、復興編ですが、阪神本線の状況は、路線の特徴から、被害が広範囲に広がっていました。灘区と、東灘区が一番ひどく、阪神本線は、大阪側の甲子園駅迄は、翌日の18日に復旧しておりました。
イメージ 2

(Hs8219F)実は、阪神梅田駅先発の列車を担当していました私は、御影駅を出た直後に、揺れに会った為、動けませんでした。
(N)つまり、被害が出た地域の近くにいたのですね。
イメージ 1

(Hs2207F)そうだったの?
イメージ 2

(Hs8219F)ええ、実際に特急で運転していた関係で、私はその付近を走行している最中に揺れていて、私が徐行していた時に、被災した訳です。では、私のことも含めて、お話ししますが、当初、阪神本線は、1週間をかけて、青木駅迄が開通しましたけど、2月入ってから、私も関わる大きな出来事が起きます。尼崎駅で修理することとなった私は、8215編成先輩に押されて、尼崎駅構内に入ったはいいものの、先輩の連結している部分が、脱線してしまい。全線不通となってしまいました。
イメージ 1

(Hs2207F)あの時は、何が起きたのかと、目を丸くしたよ。
イメージ 2

(Hs8219F)それもあって、それから4ヶ月間は、「絶対安静に」と釘を刺されました。当然ですよね(^^;。
イメージ 1

(Hs2207F)ただ、その間にパートナーとなっている阪急電鉄共に、復旧には時間がかかっていて、全線復旧は夏にはいる前の6月26日でした。それが、阪神電鉄の行方に影響を与えたのは否めませんが。
イメージ 2

(Hs8219F)次回は、山陽電鉄本線の復興の話になりますけど...、私達も参加しますよ。
(N)お願いいたしますm(_ _)m。それでは。次回をお楽しみに。