名列車列伝特集 13-04「紀伊半島の縦断した名特急04」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「くろしお」編のお話ですが、今回から「くろしお」が誕生することになります。さて、話を始めます。
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(Kt1641F)この話の主役が、ようやく登場するのですね。
(N)そうです。やはり、今回の主役を登場させないと、だめですよね。
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(Hs1208F)ということで、「紀伊半島の縦断した名特急」の第4回をお贈りします。では、皆様よろしくお願いします。その前に、キハ58型さんから、訂正があるのですよね。
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(キハ58型)ええ、実は、第3回でお話した部分に、訂正箇所がありました。実は、紀伊半島を一周した列車は、「南紀」ではなく、「紀州」という急行列車でした。皆様にはお詫びいたします。申し訳ございませんでした。さて、私たちの運転していた「きのくに」などの急行が活躍する中で、人々の間で、特急列車の要望するようになっていきました。そのため、国鉄上層部はそれに対して、どのように答えるのか、考えておりました。
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(キハ82型)そこで、国鉄首脳陣が登場させたのは、「くろしお」を特急化させることでした。その「くろしお」と名乗っていた列車の処遇が問題となります。そのため、列車名を「しらはま」に変えることになりました。
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(Kt1641F)あの、一つ質問ですが、「しらはま」とかの列車名とかが出てきますが、「きのくに」、「くろしお」と関係していたのですか?
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(キハ55型)それは、関係していますよ。この「しらはま」は、昭和37年に運転していた名古屋駅と、京都駅を始発とするへんてこな準急「はまゆう」という列車が改称して、白浜駅行きの「しらはま」となったわけです。どういう経路か、気になりますよね。
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(Hs1208F)気になります。教えてください。

イメージ 3(キハ58型)私も、運用にかかわっていましたので、ご説明しましょう。京都駅先発列車は、東海道本線に入らず、奈良線に入ります。といいましても、近鉄ではなく「奈良には行かない」奈良線を走り、奈良駅に滑り込みます。ここから、関西本線を走り、王寺駅に出ると王寺駅から和歌山線に入って和歌山を目指します。後年に運用される系統では、関西本線を走ると思いきや、桜井線に入り、高田駅から和歌山線に入る系統となりますので、その変化もあります。そして、東和歌山駅、現在の和歌山駅から、白浜駅まで走るということをやっていたのです。
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(Hs1208F)えっ! そんなことが!!
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(キハ82型)実は、「はまゆう」はこの役目を解かれた後、新宮駅と鳥羽駅を結ぶ変な経路をたどる急行として、名前を残していきます。そして、昭和40年3月に運転を開始した特急「くろしお」は、名古屋駅を起点とし、天王寺駅を終点とした急行「紀州」をグレードアップさせ、天王寺駅と和歌山駅(当時は東和歌山駅と称す)、紀伊田辺駅、白浜駅(白浜口駅から改称)、紀伊勝浦駅、新宮駅を経由するノンストップを発揮します。天王寺駅を出発する時刻は朝の9時10分で、白浜駅にはお昼前の11時58分、新宮駅には午後1時52分。これが上り列車で、下り列車の場合は、午後4時32分に新宮駅を出た後、白浜駅には、午後6時3分、天王寺駅には、午後8時40分となっておりました。ちなみに、これは、天王寺駅から見た視点ですので、名古屋駅からはどうなるのかといいますと、名古屋駅の出発時刻は、午後12時丁度。いったん亀山駅に入ります。これが1時2分、方向転換するための処置でしたが、のちに短絡線となる伊勢線(現在の伊勢鉄道)経由になるのは、昭和48年のことで、20分短縮となります。で、午後1時17分に津駅、午後3時11分には尾鷲駅、午後4時12分に新宮駅に到着するダイヤとなっており、逆に上りは、新宮駅を午後1時52分に出ると、尾鷲駅には午後2時47分、津駅には午後4時44分、亀山駅を午後5時3分、名古屋駅は午後6時丁度に到着する流れとなっておりました。ちなみに、所要時間は下りが8時間40分、上りが8時間50分となっておりました。
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(Nk7157F)そして、南海電鉄では、この昭和40年に入ってから、特急列車を担当する列車に、「きのくに」を昇格させていたのですが、この列車の乗り入れは、すう列車にとどまりますが、実は、昭和40年に入ってから、この列車の立場も少しずつ変わっていきます。実は、「しらはま」と「きのくに」、「南紀」の統合が行われていきます。それが、昭和43年10月1日のダイヤ改正ですが、その前に、昭和41年に、準急制度で誕生した列車の急行化が行われます。実は昭和34年の改正から、南海電鉄の国鉄乗り入れ列車は、客車と、気動車の2系統存在することになりました。これは、白浜などの温泉地への需要客の多さが、予想されていたからでした。
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(キハ82型)それよりも、一番ひどかったのが、「くろしお」の座席数争奪戦です。その理由は2つあり、当時の編成構成と、座席予約システムにあります。当時の編成は、2等車となる普通座席車両が4両、食堂車が1両、1等車となるグリーン車両が2両という7両編成の構成でした。グリーン車両が多かったのは、新婚旅行の拠点の一つだった白浜、新宮を中心とした南紀地域を直通することがありましたが、それだけではありません。この当時の特急の座席予約は、全て指定座席であったことから、その指定席を確保するため、従業員が白浜駅に繰り出すことをやっておりました。当然のことながら、ホテル及び旅館の従業員は、ライバル企業と同じ構図になりますから、より多くのチケットを購入することが目的となりますので、あの手この手で、宣伝を仕掛け「うちの旅館は特急『くろしお』で送迎いたします」などという広告を仕掛けたところもあったとか、無かったとか。そんなこんなで、国鉄首脳陣は、このままでは、いけないと考え、3両を増結する緊急措置を登場後から7か月後に仕掛けます。それが、新宮駅と天王寺駅の間の区間のみに適応された増結編成で、普通車が2両、グリーン車両が1両という構成となる10両編成の車両でした。これは、昭和42年10月までの2年間限定の措置でしたが、輸送力の調整の関係で増結が行われるということを行っておりました。ちなみにですが、グリーン車両が3両も連結されているのは、後にも先にも、「くろしお」のこの特例だけでした。
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(Nk8010F)そんなに、お客さんが多かったのですね。知りませんでした。
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(Kt1641F)私も初めて知りました。しかし、すごい珍しいですね。グリーン車両が3両いるとは…、以前の回で「かもめ」、「白鳥」、「おおぞら」でも最大でもグリーン車両が2両しかないですよね。新幹線だったら、3両もあったなんて話はあるといえますが…。在来線特急では、珍しいですね。
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(キハ82型)そうですよね。私もこんな扱いを受けるとは、人生もわからないものですね。では、次回は、急行の統合が行われる昭和43年のお話を、していきます。次回をお楽しみに。
(N)次回をお楽しみに。それでは。