名列車列伝特集 13-07「紀伊半島の縦断した名特急07」

(N)本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「くろしお」編の第7回です。今回は、少し遡って、特急「くろしお」とともに、出てきた列車がありましたが。わずか2年で消えた列車が今回登場します。
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(Kt1641F)さて、どういう列車なのか、分かりませんよね。
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(Hs1208F)ワクワクします! ということで、「紀伊半島の縦断した名特急」の第7回です。では、キハ82型さん、皆さま、よろしくお願いいたします。
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(キハ82型)さて、お話を昭和40年に戻してから、お話をしていきます。実は、特急「くろしお」を設定した時に、1つの問題が発生していました。それは、列車が待機する駐屯地的要素を持つ車両基地をどこに設置するのか、その点を考慮しなければならなかった点です。当時は、機関区がそれを担当しておりました。特急用となると、大きな機関区が担当することになりますが、それが天王寺の付近には設置できなかったのです。
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(Kt1641F)確かにその通りですね。大阪の市内に機関区はないですよね。僕たちも大阪府内の郊外に寝床みたいな場所があります。ただ、大阪市内にあるわけではありませんね。
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(キハ58型)その通りで、阪和線の車庫は日根野ですが、この駅は特急列車が運用できませんし、市内を走る快速列車、普通電車の拠点的な役目も果たしていたことから、特急列車の空き枠はありません。そのため、電化区間の終点に当たる和歌山駅の周辺の機関区が指定されることになったのですが、しかし、当時は特急列車を運用するうえで、回送するための機関区が名古屋駅付近にあったわけですけど、そこも空き枠がなかったのです。
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(キハ82型)だからこそ、それに対応する車庫として和歌山駅の周辺付近に寝床を確保することが必要となったわけです。しかし、単なる回送列車として運転するわけにはいかないうえ、奈良と名古屋駅間を結び且つ、効率よく運用するために、特急列車を走ることになりました。その列車名が「あすか」と呼ばれます。
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(Kt1641F)一つ質問ですが、「あすか」という名前がどうして使われたのでしょうか…。
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(キハ82型)それは、走っている沿線に秘密があります。名古屋駅を出た特急「あすか」は、亀山駅を経て、伊賀上野駅を経て、奈良県奈良市の奈良駅に向かい、奈良駅からは、関西本線より大阪八尾市内で、阪和貨物線に入り、大阪府内の堺市駅に到着し、そこから和歌山駅までノンストップです。これは、大阪を通らない特急として運転するのですが、それが、悲劇になってしまうのです。
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(キハ58型)実は、大阪の天王寺駅を運転するため、名古屋駅からの奈良駅行きの急行が多く走っていることから「あすか」を走らせても、難しいことが明らかとなった来ました。それは、特急として運転をすることになったのですが、利用客が関しては、さっぱりでした。
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(キハ82型)そして、利用客は特急「くろしお」の方が、人気だったこととは反対に、特急「あすか」が担当した列車のシェアは、奈良駅までの急行「かすが」で十分足りていたのです。そのため、特急「あすか」が運転するには、効率的ではないということだったわけです。そのため、昭和42年のダイヤ改正で、この運用は説かれてしまったのです。
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(Nk7157F)その後、「かすが」の運転は続けられましたが、やはり特急では荷が重すぎたということになりますね。しかし、特急列車でも、経由地が異なる形ですので、大変なことになっていきますね。観光地域がある関係では、「特急を運転していいのか?」という疑問があり得ますね。
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(キハ82型)それは、その通りですね。ところが、特急「あすか」と「くろしお」は、登場当初はセットとなっておりましたが、その片方が、特急「くろしお」として大成しましたが、「あすか」は短期間で終わってしまった列車として、歴史のかなたに追いやられました。その後、奈良県内を走る特急は走っておりません。その中で、大成していく「くろしお」も、昭和44年10月のダイヤ改正以降、昭和45年の万博で、どう変わっていったのか、それについて、次回でお話いたします。次回をお楽しみに。それでは。