名列車列伝特集 13-10「紀伊半島の縦断した名特急10」

(N)本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「くろしお」編の第10回です。さて、時代は、昭和50年代に入ってからのお話ですが、昭和53年10月のダイヤ改正で、特急「くろしお」の系統分離が起こるまで、実はディーゼル特急でがんばっていた80系気動車に代わり、曲線区間を走るために開発された381系電車についてもお話しします。
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(Kt1641F)本当は、「しなの」編で取り上げるつもりですが、今回は紀勢本線の導入に関してのお話をしていきます。
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(Hs1208F)では、「紀伊半島を縦断した名特急」の第10回をお贈りします。では、皆様よろしくお願いいたします。
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(キハ82型)さて、話は、昭和48年10月1日のダイヤ改正で、関西本線経由から、伊勢線経由に変更し、時間短縮を図った国鉄上層部は考えていましたが、当初から電化されていた阪和線を除くと、当時の区間としては非電化区間が多く、列車が気動車で運転されるのは、致し方なかった点があります。しかし、紀勢本線西部地区の観光は年々増加傾向であったこと、これが決め手となった部分もありました。この正反対の事情をどのように解決するのかが、問題となってきたのです。
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(キハ58型)ところが、気動車列車はエンジンの馬力数の関係で、ほかの路線が電化した関係で大幅なスピードアップを果たしたのに対して、紀勢本線は、全区間が非電化の上、曲線が連続するリアス地形が大きなネックとなり、これ以上のスピードアップを行うとしたら、電化するしかないという結論に至ってしまいます。しかし、全線で必要なのか…といいますと、それがそうでもありませんでした。実は、昭和48年当時のダイヤ改正を見てみてもわかりやすいのですが、「くろしお」のダイヤは、特に西側が多く、急行も「きのくに」と「紀州」の比率を比べてみるとわかりますが、「きのくに」の比率が高く、「紀州」が1時間あたりに1だとしますと、「きのくに」が1時間あたりに2という割合になるわけで、実際に需要が大きいのは大阪、特に天王寺発着となります。そのため、南海電鉄の南海難波駅からの列車を運転できたのは、大阪口の観光需要が好調だったことが大きな背景にあります。
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(Kt1641F)ところで、電化区間をどこまでにするか、もめることがなかったのでしょうか?
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(キハ82型)それはあったと思います。実は、同時に複線化が行われることとも関係しております。昭和39年の和歌山駅と紀三井寺駅を通して、海南駅までの区間が複線化したのを皮切りに、昭和52年の時点で、一部区間を残して完成いていたことも、追い風にありました。実は、その先に大観光地白浜がありますよね。
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(Hs1208F)そうか! だから、その先まで電化を進めようと…。
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(キハ58型)1208編成さんの言う通りです。温泉地を抱える地域を持つ南紀をいち早く結ぶことを目的としていたわけです。だからこそ、特急の速達化は待ったなしでした。そこで、電化区間の開始は昭和43年からでしたが、これについては、一部の貨物列車の運転だけを目的としていたことから、その電化以外は、10年間は非電化として運転しておりました。しかし、特急の速達かを考えると、いち早く電化する必要がある。その上、車両の陳腐化は避けられないということもあって、中央西線で昭和48年に導入した新型特急車両381系電車を使用してのスピードアップを考えるようになったわけです。
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(キハ82型)同時に、私たちは非電化区間として残った紀勢本線の東紀州側と、関西本線を含めた名古屋口の特急を、担当するように辞令を与えられることとなります。実は、曲線区間の多い紀勢本線に当たって、西側の路線がどうして、複線化ができたのかですが、この地図を見ていただくとわかります(↓)。
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平地と山岳地の割合を比べた場合、平地または、切り開かれた部分の割合が多かったわけです。その中核都市であった和歌山県田辺市の紀伊田辺駅までの区間が、複線化したのは昭和53年1月24日、そこから電化開業したのが9か月後の10月2日、実は紀伊田辺駅から先の新宮駅までの区間を含めて、電化できたわけです。
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(キハ58型)ところが…、紀勢本線の電化で電車化したのは、特急列車と、快速列車のみで、急行列車は、非電化区間を運転しているのと同じ気動車の運転となったのです。これには、紀勢本線の電化が完成したものの、電化できない区間にも乗り入れていたことから、それで非電化区間に乗り入れたのが、東紀州と、鳥羽方面に向かう列車がいたことと、南海電鉄乗り入れ列車がいたことがあげられます。
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(Nk7159F)それについては、私から補足があります。実は、南海電鉄の和歌山市駅と紀勢本線の和歌山市駅には、1箇所だけ渡り線があり、そこから乗り入れていたのですが、その部分だけ電化されていないため、電車での乗り入れができませんでした。ほかにも理由がありますが、実は、南海電鉄と国鉄の信号システムの関係で、それに対応した車両しか乗り入れができなかったのです。
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(キハ82型)そのため、昭和53年10月2日から、紀伊半島一周特急は「くろしお」から、西紀勢本線特急「くろしお」と、東紀勢本線特急「南紀」という形で、列車の系統分離が行われることとなります。そして、南海電鉄の乗り入れは引き続き継続されることになりますが、私は、「南紀」の話とかで登場してきます。次回からは、381系のクハ381型君にバトンを渡します。次回は、昭和53年10月から昭和60年までの7年間の内、前半をお届けします。次回をお楽しみに。