名列車列伝特集 13-12「紀伊半島の縦断した名特急12」

(N)本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「くろしお」編の第12回、前回の第11回では、特急「くろしお」の電車への脱皮で、系統分離が行われた後、「南紀」が特急として、紀勢本線東側のクウィーンとなったのですが、この「南紀」は、実は復活列車だったことを覚えている方もいらっしゃるでしょうか。
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(Kt1641F)確か、急行列車名として使用されていたのがわかりますが、その後どう名称として使用されておりましたが、その後どうなったのですか?
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(Hs1208F)だということは、本人にお話を引き継いでもらいましょう。
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(クハ381型)さて、「紀伊半島の縦断した名特急」の第12回ですが、早速「くろしお」のダイヤ改正での発展について、お話していきます。さて、昭和53年の10月ダイヤ改正で、ということで、昭和57年に「くろしお」が1往復減便して9往復となりました。そして、急行「きのくに」は、鳥羽駅行きの長距離列車の乗り入れの運転中止することとなり、鳥羽に向かう列車が、結局分割された関係から、4年間は運転できたのですが、結果的には、系統分割の影響がここにきて大きくなったのです。
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(キハ82型)実は、名古屋駅始発の急行「紀州」では、どうだったのかといいますと、夜行急行の2往復が廃止となり、昼行列車のみとなってしまいました。つまり、夜行列車の運転を取りやめたということになりました。その証拠として、昭和59年のダイヤ改正で、東京駅からやって来る「紀伊」が、廃止となったこともそれが影響しております。
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(Kt1641F)確かに、主に影響しているのは、新幹線が接続をしていく形ができたというわけですね。それができていたなら、直通させる列車は、邪魔となるわけですね。
イメージ 3(クハ381型)そういうことです。特急「くろしお」と「南紀」もそれぞれの新時代となるはずですが、実は82系先輩には体力に関て問題がありました。実際に、昭和40年代からかつやくしていたこともあって、10年以上も活躍を続けておりましたが、これ以上の活躍を続けていくには限界がありました。それに、昭和50年のこくてつでは、料金改定の影響で、乗客離れが続いており、この年に、一気に10万人もの国鉄職員の削減が行われたのですから、それを考えると、致し方のない事でもありました。結局、昭和60年のダイヤ改正で急行「きのくに」が廃止されることにも遠因として、急行車両の「老朽化」がありますが、他の地区でも車両が活躍していたことを考えると、おそらく特急でのスピードアップしていたわけです。
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(Hs1208F)ということで、次回は、昭和60年のダイヤ改正です。そういうことで、次回をお楽しみに。それでは。

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