タイトル:二章 流れの変化 15

それから約1年、広州と福州の地域は、音沙汰のない状況が―空白時間が―あったが、コリア地域での戦闘は、激しさを増していた。
特に、新兵器投入と言うニュースが、流れていたのだ。それは、フランスコロニー国家から密輸で送られたのが、戦闘機変形ロボット、ZミラージュⅢと呼ばれる機体である。
これが85機、送られていたのだ。その理由にはフランスが革命勢力と自任していた事にある。ただ彼らの送った当機体は、戦闘能力の高い機体とも言われていた。
そもそも、フランスは革命を広めるために、大国家の「大波」と対決していたのである。それで、今回の事になったのである。
それより、ZミラージュⅢの名前は、どこから来たかと言うと、西暦1970年代にミラージュと呼ばれる戦闘機があった。ミラージュⅢの戦闘機は、ダッソー社が開発した戦闘機ミステールの発展させた機体として、制作された。
しかし、ミステールについての情報を少し、触れておきたい。このミステールは、ミラージュの先代と言える機体であり、西暦1951年から製造が始まった。西暦1956年から、57年にかけての「スエズ動乱」にて活躍してきた。そして、ミラージュⅢは、その10年後の1967年に起きた「第3次中東戦争」で活躍をしたのである。
これを生かしたのが、ミラージュF1、ミラージュ2000となって行くのであった。
ZミラージュⅢのミラージュについては、このような話であるが、少し難しかったと思える。次にZミラージュⅢのZは何かについて、書いておきたい。
この機体の古さと言えば、P.W.の前の時代であるU.C.(宇宙世紀)0088年に開発された、戦闘機と戦闘用ロボットを合わせた「Zガンダム」と呼ばれるものである。この機体の開発者は、カミーユ・ヴィダンと言う人物で、彼は地球連邦の「エウーゴ」と呼ばれる組織にいた人物であり、この男が、戦闘用ロボットの良さと、当時大気圏に侵入する飛行補助戦闘機の長所を生かして、設計していたと言われている。それを、当時のアナハイムエレクトロニクス社(後にオーティス・インダストリアル・エレクトロニクス社となって、この時代も戦闘用ロボットの開発を行っていた)が開発に協力したエピソードがあった。
その様な流れをくむ、2つの名機、それを合わせた機体が、コリア半島を駆け巡っていたのである。
ZミラージュⅢと同じく、アジアに入った機体があった。Zガンダムホーカーハンターと言う機体であった。これも、ZミラージュⅢと同じく、Zガンダムの仲間であり、グレートブリテン7連合コロニー王国で、開発された機体と言われている。
この機体は、ホーカーハンターとは、ホーカーエレクトロニクス社が開発した戦闘機の名前で、それがこの機体に持ついているのである。
その機体が、入荷した先は、越南コロニー王国で、その機体を運用する事が、決まったのである。
この2つの出来事が、示す意味とは…、つまり、これらの意味は、次のようになる。つまり、アジアの事について、ヨーロッパが関心を示し始めた事に他ならないのであり、この2カ国が、この地域の戦乱に関心を持ち始めたと言う事でもあった。
つまり、ヨーロッパ世論が、アジアに目を向けたと言う事であるのは、間違いのない事実だと両国が主張したのであって、同じヨーロッパに属するオーストリア「神聖ローマ」コロニー帝国や、北欧コロニー王国なども関心を示していた事に他ならない。
それより、不気味なのがロシア皇国の事である。このロシアも、関心を寄せていたのだが…、国内のまとまりがない為、今のところ沈黙したままという報道が飛び込んできていたのであった。
つまり、ヨーロッパの人々は、このアジアの変化を微妙に感じていた。それは、イスラムの版図を広げすぎたひずみについて、直視し始めた表れでもあったのである。

そうした中で、イスラムを最も意識していた国があった。それは、オーストリア「神聖ローマ」コロニー帝国である。
この国家は、オーストリアコロニー帝国とドイツコロニー連邦、ハンガリーコロニー連邦を主軸とする国家であった。
構成していた民族は、多種多様であったことは、言うまでもない。各々の民族、そしてトルコ・オスマンコロニー帝国などのイスラム系とも交易を行っていた。
しかし、トルコ・オスマンコロニー帝国からもたらされる情報は、イスラムペルシャ帝国の歪が拡大していると言う事を示していたのである。
貧富の差、それから、反乱、汚職、さらに、強盗の多発、社会情勢を不安定にさせる自爆テロの多発、果てには、要人の暗殺も出て来た。
これらの事が、国境を隔てた国で行われていると言うのは、信じる事が出来ない話であったが、トルコ商人からの話によると、的を射ぬいている。
そこで、ヨーロッパ会議に参加するオーストリア「神聖ローマ」コロニー帝国の宰相、ヴィルフェ・R・ベートーベンは、
「これは、西アジアの国の問題ではない。アジア諸国も巻き込む大問題に発展する!」
と強い口調で、予言していたのである。事実、一美が反乱を広州で起こした後、ヴィルフェ・R・ベートーベンは、
「これこそ、彼らが取り戻す時だ」
と述べているのである。
これは、事実上の「大波」を見限り、且つ、イスラムペルシャ帝国をけん制する発言となった。後に、一美が「大波」に代わって、君主として君臨した際、オーストリア「神聖ローマ」コロニー帝国との友好関係を重視し、その上で、トルコ・オスマンコロニー帝国との同盟を結んで、イスラムペルシャ帝国の優位性を損なわせる構図を作り上げようと終始する事になる。

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