15年前の1月17日

あれから、どれぐらいの時が過ぎたのだろうかと、私は思う事があります。今日は、1月17日と言う日、15年前に神戸を襲った「阪神大震災」の日を迎えたのですが、私はその時小学6年生から中学1年生になる手前にいたころでした。震災を知らない世代が増えた現在。震災を知っている世代の人たちは徐々に少なくなっているみたいです。
震災の時、私は寝ていたのですが、午前5時46分の時に、突然つきあがる揺れを感じて、目が覚め、そして数点の本が、落下し、そのまま布団をかぶって難を逃れたのですが、その時の恐怖は、今でも目に焼き付いています。
ただ、それだけで終わると言うのではなく、震災の話はその8年後に付き合う事になります。それは大学の講義に「自然地理学」という講義があり、地震のメカニズムが何かを解明するというものでした。その時に、「阪神大震災」にも触れたのです。
その時に、どういったことが起きたのか、それを話したのですが、それ以上の経験をした大学教授の方の話を聞いて、自分がどれだけ恵まれたのかを知ったわけでした。その教授の話を記憶で思い出せる限り、書いてみます。

彼が、通勤している大学は、神戸にあり、その神戸で彼は被災したのですが…、その時、大阪市内等を結ぶ交通網は寸断されており、阪神電気鉄道は神戸市内の路線が切断状態になり、御影地区の車庫が倒壊するといった被害があり、当時の鉄道雑誌等でも大々的に取り上げていました。
まあ、そのことは置いときまして、当時歩いて、彼は大阪まで買い出しに行ったそうです。そこで、多くのビジネスマンがある会話をしていたそうですが、それに彼は怒りを覚えたとか…。それは、
「ここにカニの食べられる所があるから行こう。」
「そうだ、行こう行こう。」
と言うものだったそうです。どことなく普通の会話ですが…、被災者にとっては苦痛と言うべきだったのかもしれません。そこで彼が、叫びたかった言葉は、

「非国民!!!!」

だったそうです。しかし、日本人の考え方を象徴するものかもしれないと、彼は考えたそうですが、このことを考えると、その被災の事態を、経験しているのは、神戸の人々だから、自分のことに関係がないと思う人が多かったのだと言う事です。
しかし、今になって考えると、日本の多くの人々にとっても他人事ではなく、時いつ自分に降りかかってくるのかわからない地震国ですから、こう言った会話があったことを考えると、自分たちにも降りかかると言う事を自覚しなければならないと考えるべきでしょう。

それで、1月17日について、考えることを書きました。皆様はどうお考えになりますか?

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