阪神なんば線開業10周年記念旅 06

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「阪神なんば線開業10周年旅」の第6回です。

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さて、解説ですが「旧名」の生駒トンネルが開業したのは、大正3(1914)年のことですが、大阪電気軌道が参宮電気鉄道を創設したことで、大阪から伊勢方面の観光に力を入れたのは、さんざん紹介してきましたが、実は、奈良線でも半鋼製の車両が製造されており、大阪市内と奈良市内を走っていたことが知られておりました。しかし、戦中には物資不足となり、窓ガラスなどを供出する状態になっていました。
しかし、それより、どういうことなのかといいますと、エアブラシシステムのゴムを東南アジアから入っていたのですが、その中で最優先先が軍隊で会ったことから、鉄道に回せるほどの余裕はありませんでした。その影響が、戦後直後に影響ができたのです。
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その直後に、起きた奈良線で起きたのは、昭和23年3月31日のことです。ここは『近鉄鉄道祭り’15 「GO GO Rail ways! 近鉄ライナーズ」 06&07』で詳しく解説しているのですが、改めて、おさらいしておきます。午前7時20分発の近鉄奈良駅先発の大阪上本町駅行き急行は3両編成が、運転されていたのですが、この車両は、生駒駅でオーバーランを起こします。ところが、これが序章にしかすぎなったわけです。
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デボ1型こと200型が3両編成が生駒駅を出発したのですが、この直前に生駒駅の助役から、このような言葉を投げかけられます。
「おい、君、このままで行ってしまうと、事故るかもしれないぞ、大丈夫か?」
と、この意味は、実は「大丈夫か?」という意味は、「運航しても大丈夫なのか?」という意味でした。それに対して、運転士は頷くしかなかったのです。しかし、この判断が、誤りだったことになります。
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そのまま進んでいた3両編成の列車は、孔雀坂駅を過ぎたあたりから、ブレーキが利かないという事態に直面、運転士は泣きながら、乗客に緊急事態を告げます。

「皆様、大変申し訳ございません。この列車は停車できません! 覚悟してください!!」
と述べたのです。一瞬場が凍り付います。しかし、その状況を考えて、この事態に勇猛果敢に対処した方が3人が、いったいどういう行動をとったのか、それについては、次回の記事でお話します。
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そして、8400系8354編成の大阪難波駅行急行で、鶴橋駅まで行くことになります。
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そして、鶴橋駅に到着後、今度は鶴橋駅で撮影を続けます。ということで、次回をお楽しみに。それでは。

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